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落語日記 上方落語の名作を寄席の主任興行で披露した菊太楼師匠 その2

6月10日千秋楽   鈴本演芸場 6月上席夜の部 古今亭菊太楼主任興行
前日に引き続き「地獄八景亡者戯」の後編を聴きに参上。

春風亭一蔵「権助魚」
途中入場。迫力ある一蔵師匠の女将さん、その圧が凄い。一蔵師匠らしさあふれる一席。

古今亭菊丸「千早ふる」
安定の可笑しさ。知ったかぶりで強気のご隠居、菊丸師匠の雰囲気にピッタリ。

林家楽一 紙切り
横綱の土俵入り(鋏試し) 藤井聡太名人 菖蒲の花 ティラノサウルス カマキリ
この日も、観客のリクエストを丁寧に訊く楽一さん。

柳家喬太郎「オトミ酸」
知ったかぶりする人がいるというマクラから、隠居を訪ねる場面。まさに「千早ふる」と同じ入り。前に菊丸師匠の一席があったので、えーっ、同じ噺なのか、とビックリさせておいて、千早ふるのパロディのような噺。
「お富さん」の歌詞の訳を問われ、滅茶苦茶な意味をこじ付けて、平然とでたらめな解説をする隠居。ネタバレで冒頭の一部を言うと「行きな黒兵衛、神輿の待つに・・・」から始まる物語。その内容は馬鹿々々しくも、説得力が凄い。
なるほど、この新作は「千早ふる」のオマージュということか。と同時に、寄席の慣習である「つく噺はしない」に対する挑戦でもある。でも、主任の演目に因んでいるとはいえ、中身は全く異なる新作の滑稽噺。大歓迎の噺であり、喬太郎師匠のグッドチョイスと言える。

桂文我「古事記」
主任の一席が仏教に関する噺なので、こちらは神道にまつわる噺を、と言って語り始めたのが神話の世界の物語。古事記の中から、天の岩戸に隠れた天照大御神を引きずり出す話から、八岐大蛇を退治した須佐之男命の話などお馴染みの神話。落語として口演するとこうなるという好例。学究肌の文我師匠らしい一席。

仲入り

風藤松原 漫才
この日もボケが炸裂している松原先生と、スルーせずに拾ってあげるツッコミの風藤先生の息がピッタリ。

春風亭百栄「露出さん」
この日の演目は、すでに古典の域に達している百栄師匠の名作。露出狂生活を長年続けていて、すっかり街の人気者となってしまった変態のオジサンと街の人たちとの交流を描く、心温まる物語。可笑しいけど人情噺のような印象もある。
身内でもないのに青少年の素行を注意したり、親身になって相談に乗ったり、揉め事の仲裁に入ったりするオジサン、昔は町内にこんなご意見番がいた。そんな、懐かしい香りも感じさせてくれる噺。

ペペ桜井 ギター漫談
「禁じられた遊び」を弾きながら「浪花節だよ人生は」を歌う。そしてこの日、見せてくれたのは、ギターとハーモニカを演奏しながら「若者たち」を歌うという強引な力技のネタ。強烈に馬鹿々々しい芸を、一生懸命に披露してくれる高齢者。ほんと、お元気だ。

古今亭菊太楼「地獄八景亡者戯・閻魔の庁の巻」
前日の前編に続き、後編は「閻魔の庁の巻」と題して、物語は三途の川の向う岸にある六道の辻から、閻魔大王が亡者たちを裁く閻魔庁にたどり着くまでを描く。
連続して拝見して、前日の前編よりもこの日の後編の方が、こなれている印象を受けた。前編後編の双方とも、道中はさまざまな寄り道をする。そこでのクスグリやパロディが満載されているのも同じ。しかし、後編の方が完成度が高いように感じた理由、素人了見ながら私の見解は以下のとおり。
前編は、冥土の旅の道中でのエピソードが羅列されている見世物小屋的な構成。ところが、後編は、六道の辻での観光風景、閻魔庁での裁きの場面、最後に人吞鬼に飲まれた亡者たちの冒険譚、といったように場面転換とストーリーがある。なので、エピソードの羅列である前編より、筋書きがあって場面転換のメリハリのある後編の方が、演者も語りやすく、観客も物語として聴きやすいのではないか。なので、後編の方が完成度が高くこなれていた、そう感じた次第。

後編は、六道の辻から始まる。ここは、冥土での繁華街であり官庁街であり観光地でもある。この六道の辻は、色々な施設が集まっている通りに分かれている。同商売が集まっている商店街、いわゆる何々街と呼ばれるような街並み。これは、商都である大阪ではよく見かける街並みだ。なるほど、上方発祥の落語らしさだ。
ここでの描写も、現実社会のパロディとなっている。リゾート施設、芝居や寄席などの娯楽施設の数々は馬鹿々々しい駄洒落のオンパレードで、そこでは故人である過去の名人や名優たちが大活躍。ここは菊太楼師匠の工夫の見せどころで、爆笑の連続となった。
冥土には案内人がいるのも楽しい。その案内人の説明によると、今から四十九日以内に閻魔庁での裁きを受ければ良くて、それまではここで自由に過ごすことが出来るとのこと。なんと大らかな冥土の旅。
この六道の辻で面白いと思ったのが、念仏屋という商売。閻魔大王の裁きを受けるときに、罪が軽くなるという念仏を売っている。裁判における弁護士みたいな役割りを果たすものらしい。宗旨ごとに店名が違うのも面白い。金額によっても効果が異なり、まさに究極の地獄の沙汰も金次第のシステム。
誰もが避けられない死後の旅、我々はみな辛い世界には行きたくないと願っている。極楽浄土へ行きたいと思っている。六道の辻の楽しい描写には、我々のそんな願望が反映されているのだ。

いよいよ閻魔庁での裁きの場面。この閻魔庁が、いかにもお役所という描写。さすが、ぜんざい公社を生んだ上方落語だ、風刺が効いている。
登場した閻魔大王は、かなりいい加減でテキトーで、恐怖を感じない。亡者たちにおもねる閻魔様だ。一芸を披露した者は極楽へ行けると宣言すると、菊太楼師匠が手を上げて、座布団を回します。前座の隅田川わたしさんが、楽屋から座布団を持ってくる。菊太楼師匠が隠し芸を披露し、拍手喝采。
地獄での人気が下降気味の閻魔大王。人気取りの政策は、岸田総理になぞらえている。ここでは、政治や社会の風刺も効かせる菊太楼師匠。
閻魔就任何周年かの記念の恩赦で、ほとんどの亡者が天国行き。亡者を裁くという大切な仕事をほとんど放棄している閻魔大王。ほんと、いいかげん。
なぜか、四人の亡者にだけ地獄行の裁定が下される。この四人の職業が、医者、山伏、歯抜き師(歯医者)、軽業師。そして四人は人呑鬼(じんどんき)という巨大な鬼に飲み込まれる。四人はそれぞれの職業の技術を活かして、鬼の身体から脱出する。このサスペンスフルな冒険シーンが楽しい。この場面の描写は、上方落語の原典のままだと思われる。    
上方落語らしく、鳴り物も入って、賑やかで陽気な演目。この上方落語の名作を、じっくりと味わう機会を作ってくれた菊太楼師匠に感謝。
今までの印象にない新たな芸風に挑戦され、新たな一面を見せてくれた菊太楼師匠だった。

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