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悪天候にもめげない熱演の高座を観せてくれた遊馬師匠

浅草演芸ホール 6月上席夜の部前半 三遊亭遊馬主任興行
6月3日
三遊亭遊馬師匠の主任興行。この上席夜の部は、前半5日間が遊馬師匠、後半5日間が三笑亭夢太朗師匠の主任興行。なので、遊馬師匠目当ての私は、5日間の短い機会の中でこの日にタイミングが合った。
この日は、夕方から大雨が降ったり止んだりの不安定な天候。前日の日曜日も午後は大雨だった。寄席にとって、悪天候は天敵。この日は「寄席の日」として、仲入り前に出演者の手拭いが舞台から捲かれた。寄席ファンならご存じの、通常なら観客の多い特別な日なのに、悪天候には勝てなかったようだ。
ちなみに、平成12年から東京都内の4つの定席と国立演芸場が、毎年6月第1月曜日を「寄席の日」と定めて、特別なサービスを行う日としてきたそうだ。江戸での寄席の発祥は1798年(寛政10年)の6月に、初代の三笑亭可楽が下谷神社境内で「風流浮世おとし噺」の看板を掲げた興行を行ったことが始まりとされ、その出来事に由来して寄席の日が定められた。

桂富丸「旅行日記」
途中入場。噺は下げの少し前くらいから。後でネットで調べると、五代目古今亭今輔師が得意としていた噺らしい。芸協の寄席ではよく聴かれるようだ。私は初めてなので、最初から聴きたかった。

北見伸&ステファニー マジック
台形の箱に女性が入り剣を刺すマジックを至近距離で観たが、箱の小ささにビックリ。どうやって中にいるのだろう。

三笑亭茶楽「持参金」
ベテランらしい落ち着いた表情。芸協の雰囲気あふれる師匠。現代では掛け辛い演目も飄々とした茶楽師匠が語ると落語らしさがあふれる噺になる。
仲入り前に、寄席の日の特別な余興の手拭い撒き。富丸師匠、茶楽師匠、遊喜師匠、遊之介師匠の四人が舞台に上がって、客席に向かって手拭いを投げる。観客が少ないので、こっちこっちというリクエストに応えて投げていた。

仲入り

三遊亭遊喜「芋俵」
遊喜師匠は、寄席ではお馴染みの演目。芋俵を担ぐ片棒が足りないことに、なかなか気づかない兄貴分。作戦立案者にしては、ちょっと頼りない。

宮田 陽・昇 漫才
芸協の漫才の中では好みの二人。少ない観客を上手くイジルのは、さすが寄席のベテランという感じ。日本地図のネタは寄席ファンならお馴染みだが、何度見ても笑ってしまう鉄板のネタでもある。

三遊亭遊之介「青菜」
遊之介師匠の一席は、セリフが流れているように感じる。それも穏やかで緩やかな大河だ。その大河に浮かぶ小舟に乗っているような、そんな心地良い語り口。
マクラでは、大阪で「弁慶」とは隠語で、酒をご馳走になることと説明。噺のモチーフである隠し言葉について、さり気なく話題にするところも面白い。

柳亭楽輔「噺家修行」
ニコニコとした表情で語り始めた一席は、本編がなく全編が漫談。今日は噺はやりません宣言のとおり、漫談のみで下りる。話題は初高座の思い出、最近のインバウンド事情から寄席でも外国人客を増やしたらどうかという話題。それぞれがオチのある話題で、結構笑い声も起きていた。
浅草演芸ホールは、Xで根多帳をアップしてくれるので、演目の見当がつかない一席でも演目名が分かり、落語日記を書くうえでは大助かり。

ボンボンブラザース 太神楽曲芸
さて、膝替りの色物は、ベテラン中のベテラン。お二人ともお元気だ。お馴染みの帽子投げ。指名を受けた観客が、とんでもない方角に帽子を投げる。もしかしたら、盛り上げるための仕込みなのか。最後は、繁二郎先生がその観客へ向かって帽子を投げて、見事に頭に乗っかり拍手喝采。そんな盛り上がりで、主任へと繋ぐ。

三遊亭遊馬「佐野山」
いつものように落ち着いた表情で登場。遊馬ファンだから贔屓の欲目かもしれないが、遊馬師匠が話し始めると、ホール全体の空気が変わるのだ。
マクラは本編を前提とした本寸法な定番、江戸の三大娯楽は歌舞伎、吉原遊郭、そして相撲、という話。特に、相撲は庶民の人気を集めた。ということは、相撲を題材とする噺だ、と一気に期待が高まる。
江戸の代表的な娯楽とあって、相撲を題材とする演目は多い。阿武松や花筏、大安売りなどはよく掛かる噺。しかし、この日に遊馬師匠が掛けた演目は、なんと佐野山。これはどちらかと言うと珍しい部類の噺。ネットで調べてみると、平成26年度の文化庁芸術祭で大賞を受賞した「芸歴20周年特別記念・三遊亭遊馬独演会」の高座で披露された演目だ。まさに、遊馬師匠の得意の噺であり、これまでも磨き続けてきた噺なのだ。
過去の日記で佐野山を検索してみると、三遊亭歌奴師匠で2回、春風亭一蔵師匠で2回、そして遊馬師匠では、2018年に同じ浅草演芸ホール4月上席夜の部後半の主任の高座で一度聴いている。なので、遊馬師匠で聴くのは2度目となる。しかし、6年ぶりなので、かなり新鮮に聴けた。
こうして見ると、演者が限られているような印象の演目だ。今のところ、この演目の私的ツートップは遊馬師匠と歌奴師匠のお二人。控えのポジションが一蔵師匠で、虎視眈々とレギュラーのポジションを狙っている、そんな感じの印象。

江戸の頃、相撲は芝居と並んで人気の興行であり、そして神事の流れも汲んでいる。観客は勝負に熱狂していたようだが、心技体と呼ばれるように単なる勝ち負けだけで力士の人気が決まった訳でもなさそうだ。たんなる強さだけではなく、人格者であることが力士に求められていた。現代でも、横綱の品格という言葉が象徴するような人格。その象徴的な存在として、この噺で描かれているのが寛政の大横綱、谷風梶之助だ。
横綱に品格を求めている現代と、谷風が尊敬を集めて大人気となっていた江戸時代で、大衆の価値観にそんなに大きな違いは感じられない。スポーツマンシップなんて概念が無かった江戸時代だが、根底に流れる価値観は、共通するものがあるように思う。なので、谷風の八百長相撲も、人格者の情けとして受け入れられるのだ。

その谷風と佐野山の対戦が決まった後、遊馬師匠が描いて見せた世間の盛り上がりが凄い。勝手に女性スキャンダルをでっち上げて、遺恨試合に仕立て上げる者。賞金を出して佐野山を鼓舞するタニマチの存在。そして、対戦当日の観客は、判官贔屓で全員が佐野山の応援にまわる。
この盛り上がり方は、現代日本のスポーツイベントにも十分通じる。江戸の頃から変わっていない。見方を変えると、江戸時代の噺に現代の世相を反映させているのかもしれない。
遊馬師匠は噺の中で、相撲の世界を強く感じさせる表現を数多く見せてくれる。力士の名を呼びあげる呼出の美声は見事。見せ場となる二人の対戦場面では、横綱谷風の力強さと佐野山のひ弱さが笑えるもの。しかも、二人ががっぷり四つに組んで対戦している様子が、高座で見事に再現されている。そんな盛り上がりで、大団円を迎える。

この演目は、登場人物の会話で物語が進行する通常の演目とは異なり、演者の主観的な叙述説明によって物語が進行していくという形式の演目であり、いわゆる地噺と呼ばれるもの。これは、講談の形式に近い。この噺は元々が「谷風の情け相撲」という講談の演目が落語に移植されたものであり、地噺であることはその名残なのだ。
セリフの応酬で進行する通常の演目と違って、地噺は演者の主観で物語を紡いでいくので、時々ストーリーから脱線するという特徴がある。ストーリーだけ語っていても、面白味に欠けたり単調になったりするので、落ちのある小噺や時事ネタやアドリブを挟んで笑わせる。そして、この脱線部分の楽しさが地噺の魅力なのだ。
この日の遊馬師匠の脱線部分は、笑いどころが多くて楽しいものだった。最近の若手落語家は高学歴者が多い、などの落語界の裏話で客席の興味をグッと引き寄せる。そして、この脱線部分が面白ければ面白いほど、地噺全体が面白くなるという効果がある。
ふと思いついたように挿入される脱線部分だが、本編をより効果的に盛り上げるように構成も計算されているはず。この脱線部分と本編部分との組み合わせの妙。本編から横道に逸れたあとに、いつの間にか本編へ戻っているという流れ。これこそが、遊馬師匠の高度な技量のなせる技なのだ。本編の物語の世界と観客相手のリアルな話題である脱線の世界、その双方を自由自在に行き交っている。地噺は演じ方の自由度が高い分、演者の手腕が問われる。地噺の肝は、難易度が高いのだ。

渾身の一席を見せてくれた遊馬師匠。悪天候にめげずに行ったことへのご褒美の高座だった。


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