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落語日記 文七元結とがっぷり四つに組んだ遊かりさん

三遊亭遊かり独演会 vol.13
12月18日 お江戸日本橋亭
遊かりさん自ら主催している独演会で、第1回から毎回通っている。
遊かりさんが尊敬している先輩をゲストに迎え、その胸を借りて腕を磨こうというコンセプト。今回のゲストは、芸協の色物の重鎮で大ベテランの東京ボーイズのお二人。胸を借りると表現するには畏れ多い大先輩。そんな大先輩の寄席芸人に出演してもらったことに対する遊かりさんの感激ぶりが、その日の高座からも伝わってきた。
ネタ出しの演目は「文七元結」。この季節によく掛かる人気の大ネタ。そんな演目に挑戦する遊かりさんの奮闘ぶりを楽しみに出掛けてきた。
 
三遊亭げん馬「真田小僧」
圓馬師匠のお弟子さん。工事現場のげんばと覚えてください、事件現場でもいいです。名前を憶えてもらうには、上手いキャッチフレーズだ。
口調は滑らかで流暢。途中の切れ場が予定時間より早く来てしまい、時間が余ってしまった。そんなことを正直に伝えるところ、なかなか面白い。そこで、噺の続きを語りはじめるも、今度は中途半端なところで時間切れ。こんな奮闘を見せてくれるのも、前座らしさだ。
 
三遊亭遊かり「ん廻し」
マクラは、まずは前座さんの紹介から。げん馬さんには「たっぷり遊かり」のときに手伝ってもらった。その際は、時間の関係で出番なしだったので、今回も前座仕事を依頼して、高座に上がってもらった。
ご自身の話題は、大河ドラマ、朝ドラが大好きという話から。これらドラマが好きな訳は、一年、半年という長いスパンで登場人物と付き合えるから。今は、鎌倉殿にハマっている。この日は最終回放送日、何度も録画のセッティングをチェックして出掛けてきた。熱い想いを語る遊かりさん。
後半の演目「文七元結」は、笑いどころが少ないので、前半二席は滑稽噺を。ここで笑わないと、笑うところはありませんよ。そんな前振りから一席目。
この噺を以前に聴いたのは、この独演会の第1回のとき。その際には「女子会ん廻し」という改作だった。この日は通常の型で、後半に女子が登場するバージョン。この登場する女子たちが歌う「風の谷のナウシカ」や「夜明けのスキャット」のランランララランランランやルールールルルーが、相変わらず馬鹿々々しくて楽しい。
 
三遊亭遊かり「金明竹」
一旦下がって再登場。マクラは、この日に挑戦する「文七元結」に関する話題から。この演目を掛けてきた先輩たちの逸話が楽しい。やはり、落語家の皆さんにとって、この演目は様々な思い入れがある噺のようだ。
そして、前座修行の思い出話。立て前座となって後輩を叱るのは、叱られるより大変な思いをする。最近の後輩たちは、叱られているときでも先輩の顔を見ない。そんな後輩たちとの世代間ギャップのエピソードで笑わせる。前座時代を思い出しながら、二席目は前座噺。
掛けるのは久し振りのようだが、使者の口上もよどみなく。遊かりファンの客席からは、何度も中手が入る。鉄板の二席で暖まった会場。仲入りで笑いの気分を入れ替え、期待の後半戦へ。
 
仲入り
 
東京ボーイズ ボーイズ
落語協会にはいない色物の芸種のボーイズで、芸協においても、このコンビのみ。寄席では欠かせない色物として、活躍されている。三味線担当でチョビ髭の菅六郎(すがろくろう)先生とウクレレ担当で髪を染めている仲八郎(なかはちろう)先生のお二人のコンビ。結成が昭和40年とのことなので、もうすぐ芸歴60年という超ベテラン。この日も相変わらずお元気な舞台を見せてくれた。
まずは、お二人のお馴染みのネタ、謎掛け問答で盛り上げる。八郎先生が取り上げる歌手や曲名が、流行の先端を行っている最新のもの過ぎて、ポカンとする六郎先生の表情が可笑しい。
テレサ・テンの「つぐない」を菅六郎先生が歌おうとするが、仲八郎先生が歌詞にケチをつけて直してしまう。それを必死で覚えて歌う菅六郎先生、というお約束のネタ。八郎先生の無理難題に必死でついていく六郎先生。この掛け合いが生み出す空気、寄席らしさあふれていて楽しい。
寄席でもお馴染みの変わらないネタ、安心して笑っていられる寄席芸人のお手本のようなお二人。まだまだ、お元気だ。
 
三遊亭遊かり「文七元結」
マクラは、東京ボーイズのお二人に対する感謝の言葉から。この日は、昼間このお江戸日本橋亭、その後に末廣亭に出演してからこの会へ来られたとのこと。そんな忙しい中の重鎮の出演に、大変恐縮されていた遊かりさん。
いよいよネタ出しの演目。今月9日に、ひらい圓蔵亭の「三遊亭遊かりひとり会」でネタ下ろししたばかりで、この日までの一週間で練り直して、再挑戦されたようだ。
この噺は、歌舞伎の演目にもなっている。歌舞伎ファンの遊かりさんは、おそらく歌舞伎の文七元結も観てきているはずだ。落語家になった自分が、一人で全ての役をこなす落語で、歌舞伎でも人気の演目に挑むことは、何よりも嬉しい挑戦ではないだろうか。また、今までの歌舞伎観劇の経験も、何らかの形で高座に活かせるはずだ。
この高座で使っている手拭いは「斧琴菊(よきことをきく)」の柄だ。これは、三代目尾上菊五郎が七代目市川団十郎の「かまわぬ」に対抗して舞台衣装の柄として使い出したという、歌舞伎役者由縁の柄。この手拭いからも、遊かりさんの気合いが感じられる。
 
この噺の主役、左官の長兵衛親方は、先日聴いたばかりの芝浜と同じく、駄目駄目な江戸っ子。今回の駄目駄目の原因は、酒ではなく博打だ。人気の演目に登場する男性陣は皆、三道楽煩悩によって見事な駄目男ぶりを発揮する。そして、周囲の支えや幸運な切っ掛けで立ち直り、その再生の様子で観客を喜ばせてくれるというのが、落語世界のお約束。さて、遊かりさんはそんな駄目駄目な江戸っ子をどう描いたのだろうか。
 
まず、長兵衛親方の駄目駄目ぶりは、博打で負けて裸同然で長屋に帰り、女房と喧嘩する場面と、吉原の妓楼、佐野槌での親子対面の場面で発揮される。これらの場面では、この長兵衛と対峙する女性陣の表現が、遊かりさんらしく情感豊かで心情が伝わる。この女性陣がみなしっかり者なので、長兵衛の駄目男ぶりが対比されて引き立つのだ。
佐野槌では、お久が女将から五十両を受け取り父親に渡し、父親に対するセリフが娘心を素直に伝えてくれて、親世代にはグッとくるものがある。このお久のセリフによって、長兵衛が五十両を受け取る理由が、すんなりと腑に落ちる。また、佐野槌の女将が、妓楼の店主らしさあふれ、厳しさと優しさが同居していて、カッコ良くて凛々しい女性だった。
 
そして、江戸っ子の不思議な行動は、吾妻橋で文七と出会う場面で見せる。娘が自分を犠牲にして作った大金を、見ず知らずの他人に恵むという理解し難い長兵衛親方の行為。これは、どんな動機によるものなのかについて、演者により様々な解釈がある。この長兵衛の動機を観客に納得させることができるのか、その答えは演者ごとに違うので、どのような答えを見せてくれるのかが、この演目を聴くの楽しみなのだ。
今まではそう考えていたのだが、演者の答えに納得できなくても、演者が見せてくれる長兵衛親方の心境が理解できなくてもいいんじゃない、最近はそう思うようにもなってきた。というのも、後半になって長兵衛親方の理不尽な行動が、結果オーライで一気に大逆転をみせるので、前半の理不尽さや不合理さは吹き飛んでしまうのだ。前半のモヤモヤを後半で吹き飛ばしてくれれば、吾妻橋の場面は、あれこれ理屈で納得させなくても問題ないのでは、そうも感じている。
 
目の前で困っている人がいると黙って見過ごせない、理屈なく手助けせずにはいられないという人情の厚さが、江戸っ子気質の一面と言われている。しかし、この場面では、この江戸っ子気質と、お久を想う親心との葛藤を見せる。
遊かりさんが見せてくれた長兵衛親方の心情。金が無くなって遊女になっても死ぬことはないお久に比べ、金が無ければ死んでしまうという文七に、金を渡せば死なずにすむ。だったら目の前で死なれて気分が悪くなるより、金を渡した方がまし。私は長兵衛の心情を、そう受け取った。この江戸っ子の心情は、伝統の型に則っているものと思われる。
 
この吾妻橋の場面までの長兵衛一家が悲惨の極致へ落ちていく前半を丁寧に語っていたためか、かなり時間が経過していた。なので、後半の近江屋の場面からは、語り口が急いでいた印象を受けた。会場の撤収時間が迫っていたのかもしれない。そんな中でも、それぞれの場面を丁寧に端折らずに語り切った。
後半は、前半の理不尽さや悲惨さが解消され、長兵衛親子の運命が好転し、観客もテンションが上がる場面が続く。この好転によって、前半の不合理さや不思議さが回収される。親子再会の場面も、細かいクスグリも丁寧に語ってくれた遊かりさん。1時間もある長講にも息切れせず、一気に駆け抜けた。
全体が基本に忠実な一席だったと思う。今後は、この噺を磨いて削って味を付けていき、遊かり流の文七元結を目指し、挑戦を続けていってほしい。まだ、文七元結の旅は始まったばかり。今後の進化を楽しみに追いかけたいと思う。

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