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落語日記 あこがれの先輩をゲストに呼べて嬉しい遊かりさん

三遊亭遊かり独演会 vol.16
9月18日 お江戸日本橋亭
毎回通っている遊かりさん主催の独演会。遊かりさんが背中を追いかけていきたいという真打をゲストに迎え、その胸を借りて腕を磨こうというコンセプトの会。今回のゲストは、落語協会の中堅で人気者の入船亭扇辰師匠。前回の春風亭柳橋師匠に続き、大物のゲスト。それも協会の垣根を超えて、落語協会のベテランの登場。前回以前のゲストでベテランの先輩では、身内の大師匠の小遊三師匠や遊雀師匠を除けば、芸協の立川談幸師匠の出演があった。
スタート当初は、若手人気者が中心だったゲスト。そんな、少し先輩で人気者の先輩を招聘するというゲストの人選は、背中を追いかけていきたい真打というコンセプトに適ったもの。追いかける先輩真打の背中が見えていて、遊かりさんが目標として追いかけていることがその人選より伝わってきた。
しかし、前回、今回と続けて大先輩のベテランをゲストに招聘している。この会のコンセプトを変えていないのならば、背中を追いかける目標とする先輩を、一段と遠くにいる大先輩まで射程を伸ばしてきたとも言える。これは、遊かりさんご自身の進歩の表れであり、また自信の表れでもあると言える。前回の日記にも書いたが、追いかける背中が高くて遠いほど、遊かりさんの意欲が強くて熱いことを感じるのだ。
芸協の香盤を見ると、遊かりさんは二ツ目の15番目。まだ真打まで上には14人もいる。真打までの道程は、まだしばらく続く。しかし、その先の先輩の背中は眼の中に見据えている。道は、見失っていない。

三遊亭げん馬「弥次郎」
圓馬門下の前座さん。工事現場、現場検証と覚えてください。以前もこの会に登場している。噓をつかない、時間を守る、これが師匠の教えです。そこで、噓の噺をします、と本編へ。短いけど上手いマクラ。こんなマクラも簡潔で気持ちいい。
本編は無理がある嘘の羅列なのだが、これらをしれっと自信を持って語ってくれたところも小気味いい。

三遊亭遊かり「平林」
まずは、足を怪我していることはご存じの常連さんを前に、怪我の快復具合を報告。袴を穿かなくてもよいくらいに足が回復してきました、に客席も安堵の様子。
近況報告として、シェークスピア作品の芝居に出演するというお話。只今、絶賛稽古中。この稽古風景やキャストを紹介。中でもキャストの一人である小学五年生の男の子。かなりの変わり者のようで、その面白さは弟子にしたいくらい。そんなエピソードから子供が登場する噺。
遊かりさんでは初めて聴く。小僧の可愛さ、真面目さがある上に、幼さゆえの間違いが可愛い。遊かりさんは子供の役も合っている。

三遊亭遊かり「はとバス」
一度下がって、着換えてから再入場。二席目のマクラは、今日のゲストの扇辰師匠とのご縁の話。
遊かりさんが落語家になる前に通った寄席で拝見して、大好きになった落語家。枝豆を食べる様子が上手だったのが印象に残っている。であれば演目は「馬のす」あたりか。その高座では、扇辰師匠は江戸の風を吹かせていたそうだ。遊かりさんは、その風に魅せられてしまったということだろう。
落語家になって、扇辰師匠の弟子であるの現在の扇橋師匠と知り合い、その繋がりでお会いして、稽古をお願いすることが出来た。前回の独演会で掛けた「夢の酒」の稽古を付けてもらった。扇辰師匠の自宅での稽古、そこには防音設備の整った稽古部屋がある。そんな感激の様子を語っている遊かりさんからは、扇辰師匠を崇拝していることが伝わってくる。
正統派の扇辰師匠がこの後に登場されるので、古典落語は掛けづらい。なので、新作を演りますと宣言。今までに新作を作ることにも挑戦してきたが、最初の頃の勢いや情熱が無くなり、最近は新作作りはややスランプ気味。そこで、他人の作った作品を掛けます。
以前に知り合った社会人落語家、いわゆる天狗連の人で、新作作りの上手い人がいた。最近、落語会に観に来ないと思っていたら、寄席の楽屋で会った。なんと、プロの落語家になっていたのだ。それが、昇太一門の春風亭昇ちくさんという前座さん。その昇ちく作の新作落語を披露。

コロナ禍で旅に行けなかったので、最近は旅行に出掛けるご贔屓さんが増え、独演会に来られるお客さんが減っているように感じる。一生に一度しか経験できない旅行、それが修学旅行。コロナ禍で、修学旅行に行けなかった可哀そうな学生たちも多い。そんな前振りから本編へ。
修学旅行で東京観光に来た高校生たちが必ず乗るのが「はとバス」。修学旅行の団体を乗せたバスのバスガイドがゆかりさん。生徒たちから、恋人はいるのですかという質問でキレた。失恋の辛い思い出があるゆかりさん、感情を爆発させ、これを切っ掛けに、ゆかりさんの恋愛の思い出の場所を巡るバスツアーが始まる。
出会いの場所から失恋の現場までを巡り、ゆかりさんの感情の起伏を本人の解説付きで生徒たちと追体験するという、落語らしい馬鹿々々しさであふれる筋書き。遊かりさんが見せてくれる、ゆかりさんの過剰な感情表現が可笑しさ満載。遊かりさんもノリノリだった。遊かりスペシャルの演目を手に入れたようだ。

仲入り

入船亭扇辰「蕎麦の隠居」
新作による爆笑の空気が、仲入りで上手く換気された。遊かりさんの独演会の空気のなか、扇辰師匠はどのような一席を聴かせてくれるのか、非常に興味深く楽しみにしていた。
まずは、いつものような表情で登場。陸前高田の旅から帰ってきたばかり、実は腰を痛めている、ちょっと厳しい表情でそんなことから話し始めた扇辰師匠。ところが、気が付くといつの間にか、会場は扇辰師匠の作り出す空気であふれている。特別なことはしていないのに、いつの間にか自分の噺を聴く空気に変えている。これが、扇辰マジックだ。
道楽にも色々とあるが、よく聞くのが食い道楽。そんなマクラから本編へ。この噺は初めて聴く。
ネットで調べると、扇辰師匠の師匠、九代目入船亭扇橋師の持ちネタだった噺。演芸評論家の矢野誠一氏が、NHK主催の東京落語会に出演する扇橋師のために書いた新作らしい。音源が残っていたが誰も掛けずに埋もれていたのを扇辰師匠が掘り起こしたようだ。師匠の芸を承継して後世に伝えていこうという扇辰師匠の思い、この演目からも強く感じる。

とある蕎麦屋に初めて来た客の隠居。初日は蕎麦を一枚の半分、あくる日もやってきて今度は一枚。またあくる日も来て今度は二枚、次の日は四枚、次の日は八枚と注文が倍々で増えていく。そして、来る度に蕎麦や店について小言を言っていく。店主はその小言で嫌なったが、注文の枚数が増えるので、その小言にも応えようと必死になる。そんな隠居と蕎麦屋の店主の奇妙な対決模様が描かれる。
毎度おなじみになった決まり文句で小言を言う隠居の嫌みなところ、反論しようのない隠居の正論に悔しがる真面目な店主の様子、ちょっととぼけた道化役の奉公人の小僧。蕎麦屋の店内で三人が交錯する風景の可笑しさ。のどかだけどジワリと可笑しい。まさに、扇辰師匠の面目躍如という演目だ。
物語の中では、隠居が蕎麦を食べる描写はない。本編の途中で休止し、蕎麦についての蘊蓄話が挟まれる。ここで蕎麦の食べ方の実演。落語家がよく見せてくれるエアー蕎麦。美味しそうに、ズルズルと蕎麦を手繰る。本編で登場しない蕎麦を食べる描写を、本編の進行を休んで見せてくれるという工夫。蕎麦が登場する落語、やっぱりこれがなくっちゃ、そんな観客の期待に上手く応えた扇辰師匠。
まさに閑話休題、本編に戻って、隠居の大食いはどこまでいくのかという好奇の物語が続く。さて、結末は、下げにも繋がるこの噺の肝なので、ここでは書かない。ぜひ、扇辰師匠の一席で味わってほしい。

三遊亭遊かり「厩火事」
登場するなり「どこの蕎麦屋に行きますか?」。我々観客と同じように、扇辰師匠の一席を堪能されていた遊かりさん。憧れの人の芸を間近で聴ける、また稽古も付けてもらえる、この落語という古典芸能の世界には素晴らしい習わしがある、と遊かりさん。これは、まさに扇辰師匠と接することで強く実感されたこと。遊かり流の表現で、扇辰師匠が大好きな落語家であることを伝えてくれた。
マクラは焼きもちの話に移る。昔は、職場である店と住まいが同じだったので、亭主でも外出するには言い訳が必要だった。外に囲っている妾に会いに行くには、女房に対して何か訳を話さないといけなかった。その言い訳として、寄席がよく使われた。落語によく登場する場面、なるほど、亭主の心持ちがよく分かった解説だ。
続いて焼きもちの焼き方の悪い見本と良い見本。こんなのを見せられると、女性の本心が分からなくなる。また、男性が女房の焼きもちを題材とする演目を聴くとき、ちょっと複雑な心持ちになる。そんな前振りから本編へ。この噺は、ほぼほぼネタ下しらしい。
以前の遊かりさんは、ネタ下ろしの噺を聴かせてくれるとき、観客の反応より噺の進行を優先させて、どちらかと言うと、前のめりになって速度を飛ばして噺を進める傾向があると感じていた。しかし、この日はそんなところが全く見られず、観客のリズムと遊かりさんの噺の速度がうまく合ってきたように感じた。なので、笑いどころを観客が自然と拾えるようになっていて笑い声も多いし、観客が噺の世界に浸り易くなっているのだ。この変化は大きい。こんな変化を感じられるのも、独演会を追っかけてきたからだ。 
この日は遊かりさんの古典と新作、そして扇辰師匠の珍しい演目と、プログラムとしても充実の会だった。

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