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落語徒然草 その6 「圓朝に挑む!」考

 先日観覧した落語会「圓朝に挑む!」の落語日記を書いていて、この会自体について色々と感じたり考えたりしたので、この会について徒然に書いてみようと思う。

 三遊亭圓朝という落語家は、落語ファン以外にはそれほど知られていない存在だろう。しかし、我々落語ファンにとっては、落語の神様のような存在なのだ。
 詳しい略歴は省略するが、幕末から明治にかけて活躍した落語家で、落語中興の祖と呼ばれ、多くの作品を残し、現代の落語家たちもその作品に挑戦し続けている。特に、夏場によく掛けられる怪談は、ほぼ圓朝作品だ。創作した膨大な作品は、何度も圓朝全集として出版され記録が残されている。命日の8月11日には、圓朝忌という名前で落語協会主催の落語家総出の法要を毎年行っているように、今でも多くの落語家から信奉されている。
 落語家にとって、そんな圓朝作品に取り組むということは、落語家人生の夢であり目標でもあるのだ。

 百年以上前に創作された圓朝作品を、現代の観客を前に現代の落語家が口演するのは、非常にハードルが高い。それはなぜか。その理由として、圓朝作品特有の難しさを挙げてみたい。
 圓朝作品の多くは、当時の寄席で連続物として何日かかけて口演されていたもの。なので、発端から結末までが今の落語の感覚からすると非常に長い作品となっている。寄席のトリの出演時間では収まらない、全編を語り切ることができない長さなのだ。全編を披露するには、落語会も連続で行わなければならなくなる。この長編であり、連続物であることが第一の難関だ。

 連続物を寄席や通常の落語会で口演しようとすると、落語会を連続ものとして開催する以外は、噺の一部を抜粋するか、もしくは簡略化してダイジェスト版にしなければ掛けられない。これは非常に悩ましい問題だ。
 心眼、死神、文七元結、鰍沢などは、圓朝作品のなかでもメジャーな作品として、現代でも高座に掛けられていて我々も馴染のある演目である。現代の落語会のサイズに収まって、寄席のトリで掛けられることも多い。
 高座に掛けられている古典落語の数々の演目は、先人たちから後輩たちへ受け継がれ語り継がれていくなかで、その時代時代にマッチした噺に磨き上げられ、そんな変化を繰り返してきた。これらメジャーな圓朝作品も同様に、時代に合わせて先人たちが磨き上げて寄席のトリネタへ変えてきたものだ。なので、その遺産を承継している現代の落語家は、寄席や落語会で掛けられる持ちネタとすることが出来るのだ。また、これらメジャーな圓朝作品は、怪談以外は元々が連続物でなかったからとの理由もあっただろう。

 しかし、これらメジャーな作品以外に残された膨大な量の作品は、多くは連続物なのだ。連続物としての難しさは筋書の複雑さにある。登場人物が多く複雑に絡み合っている。人間関係が複雑な因縁で繋がっている。ここが圓朝作品の面白さでもある。
 筋書きの特徴として、勘違いで殺してしまったり、間違って殺してしまったりという出来事はよく見られる。そんな発端の出来事が勘違いや嫉妬や恨みを生み、それらの感情が積み重ねられて増幅していき、それによって再び人を殺めてしまう。こんな因縁がまた次の因縁を生むという、因果は巡る糸車なのだ。連続物では、そんな因果の連鎖で観客の興味を引き付け、次回の公演に観客を引っ張っていったのだろう。
 また、登場人物が多く、名前も難しく覚え辛い。手元に人物相関図を置いて聴きたくなるような複雑な登場人物なのだ。

 そして第二の難関が、創作当時の風俗や価値観が反映されている筋書きが、現代人の理解にはなかなか馴染まないということが上げられる。
 どれも江戸末期や明治の頃の価値観や倫理観が色濃く反映された物語だ。聴く側の当時の観客は、まだまだ江戸時代の身分制度や封建制度による価値観に縛られていたはずだし、御一新や文明開化の世、髷は落としても中身までそう急に変われるものではない。そんな観客を相手にするのだし、圓朝自身も同様に江戸時代の空気に引きずられていたはずだ。士農工商の身分はもちろんのこと、家制度を心柱とする親子や夫婦の関係、まだまだ自由な恋愛の出来ない時代における遊郭の存在、そんな現代には存在しない当時の文化や風俗。映画やドラマ、小説などで見聞きしているとはいっても、これらの作者自体が現在人である。これらは、圓朝作品のように過去と現代の価値観や倫理観の違いを強烈に感じさせるものではないのだ。
 そんな現代人の理解し難い当時の価値観、倫理観など時代の感情が、圓朝作品の根底に流れている。現代人がこんな圓朝作品をストレートに聴いて、当時の観客と同様に楽しんで聴けるだろうか。私は疑問に思う。落語中興の祖、落語の神様、大圓朝が作った作品であっても、ストレートに聴かされては面白くない作品も多々あるのではないだろうか。埋もれてしまった圓朝作品は、現代人の感覚からすると、面白さや感動の少ない筋書きではなかったのか。落語の演目として廃れてしまっているのは、それなりの理由があるのだ。

 そんな難関がある圓朝作品に、あえて挑戦しようという主旨の落語会が「圓朝に挑む!」なのだ。
 作られた時代から百年以上経て、舞台背景や登場する風俗や習慣、登場人物たちの価値観や道徳観など、当時と異なる現代に眠っていた噺を蘇らせる。時代の埃が積もって判読できなくなった古文書を、蔵から出して現代の空気で虫干しするのだ。
 古文書から香り立つ明治の空気を、現代人に令和時代の感覚で味わってもらう。元々連続物だった演目を30分くらいの一席に仕立て直す。ダイジェスト版にするなら、象徴的な場面を取捨選択する。リアルサイズで切り取るなら、発端の章にするのか、大団円の章にするのか、起承転結のどの箇所を選ぶのか。そんなふうに、連続物と格闘するのだ。

 これだけ考えても、この噺を現代の聴衆に落語として聴かせることは、大いなる挑戦と呼んでも間違いではない。この時代の埃が積もった古文書を現代人に解りやすく噛み砕いて読み聞かせるのは、現代を生きる落語家だ。圓朝作品や作品世界を素材として、現代の落語家がその自らの芸の技量と自らの人生経験を持って、現代に再現するのだ。
 今回、馬治師匠や圓太郎師匠が挑戦した演目は、先人たちの挑戦も少なく圓朝全集の中に埋もれていたものだ。ネットで調べると、操競女学校は志ん生師、圓生師の音源があるようだ。八景隅田川にあっては、音源も無く、上演記録もあまりない。お二人とも、まさに圓朝全集という古文書を紐解いてバラバラにして、自分の落語として組み立てたのだ。

 マクラで仰っていたが、圓太郎師匠ご自身は圓朝の名前を冠した会に対して、様々な思いをお持ちのようだ。今年で十年以上も続けてきたという会。落語の神様の名前を冠した会なのだ、当然に観客の期待が高い会。しかし、圓朝学会の研究発表会でも圓朝研究者の講演会でもない。企画物の落語会なのだ。
 この会の楽しみ方は、繰り返しになるが、私はこう思っている。この会は圓朝作品を素材として、現代を生きる落語家がその自らの技量と人生経験を持って作品世界を現代に再現してみせるものである。そして、当時の観客たちが楽しみに聴いていた作品世界を再現することで、その舞台背景や登場する当時の風俗や習慣、そして登場人物たちの価値観や道徳観などが、百年以上経た現代社会と如何に異なるものだったのか、それらを感じられることがこの会の魅力なのである。

 圓朝作品の再現という特殊性から、一席ごとを現代の落語と同様なエンタメの基準で聴くものではないと考えている。しかし、それを承知の上で言うと、この会が落語会というエンタメとして、いかに圓朝作品を落語として楽しめるかという期待にも応えなければならないのも事実だと思う。この配分がこの会の難しいところなのだ。
 私の落語日記を読み返してみて、書かれていた初めてこの会に訪れたときの印象が、まさにこの会の難しさを象徴しているものと感じた。
 当時その会では、四席とも初めて聴く圓朝作品。それも二席はダイジェスト版、二席は連続物の一部抜き出し版。どれも長講、おまけに全部、人が死ぬか殺されるという陰惨な噺。連続物だけあって登場人物が多く、親子だったり恋人だったりと因縁が複雑に繋がっている。おまけに登場人物の名前が難しく覚え辛い。そんな構成の会だったので、きつい3時間半、途中に何度も意識が飛んだ、正に難行苦行、そんな感想が並んでいる。相当にマニアックな落語会だったのだ。そして、正直、落語会としては楽しめなかったのだ。
 それを考えると、今回のように、こみち師匠と粋歌さんの楽しい二席が挟まれて、まさに寄席の色物のような気分転換ができ、圓朝作品と異なる彩りがあって観客を飽きさせない落語会だった。そして、それは馬治師匠と圓太郎師匠の圓朝作品を引き立てるという効果も生んでいた。

 この会のコンセプトは、文章では公表されてはいない。「圓朝に挑む!」というタイトルがまさにコンセプトそのもの、唯一文字で示されたものなのだ。観客としては、そのタイトルから会のコンセプトを推測するしかない。なので、観客によって受け取り方が異なるのは致し方が無い。
 圓朝作品のみを掛ける会と捉える人もいるだろうし、圓朝に何かしら関わっている落語世界を見せる会という捉え方もあり得るだろう。落語中興の祖に対するリスペクトのもと、圓朝の心意気に負けないぞという演者の意気込みを見せるという意味での「圓朝に挑む!」もありかもしれない。
 このように、捉え方によって楽しみ方も観客それぞれなのだろう。コンセプトを表に打ち出していないのは、この素材をどうぞ好きに味わってください、という主催者の意思ではないだろうか。

 圓朝の実父は、初代の橘屋圓太郎(初代のみ橘屋)なのだ。圓朝の父親の名跡を8代目として引き継いでいるというご縁の圓太郎師匠。圓朝所縁の名跡を引き継いだ落語家として、この会を大切にされていることは間違いない。そんな想いを受けとめながら、圓朝の世界を味わえる会として通い続けたいと思う。

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