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落語日記 観客の心揺さぶる渾身の「ねずみ穴」を聴かせてくれた文蔵師匠

鈴本演芸場 7月上席 夜の部 橘家文蔵主任興行
7月6日
寄席の訪問は、まん延防止等重点措置下にあった6月26日の池袋演芸場以来で、今回は同じまん防下にあって時短営業中の鈴本演芸場。しばらく夜の部を休んでいた鈴本演芸場、この7月から夜の部を復活させた。
そして、復活夜の部の主任トップバッターに抜擢されたのが橘家文蔵師匠だ。それも、「~文蔵根多出し公演~【Suzumoto Bunzou Summer】」というタイトルが付けられた企画公演。これは、8日間ネタ出し(月曜定休日・代演が一日あるため)の特別興行なのだ。
ちなみにネタのラインナップは、1.妾馬 2.大工調べ 3.飴売り卯助(松本清張原作・左の腕) 4.竹の水仙 5.ねずみ穴 6.らくだ 7.猫の災難 8.子は鎹 というもの。どれも魅力的な演目。中でも、文蔵師匠でまだ聴いたことがない「ねずみ穴」は、どうしても聴きたい噺。なので、この日を狙っての訪問。
また、この特別興行では、仲入り頃から膝代りの演者が上がる頃まで、幕見券という割引券が発売される。この日は、この夜間割引である幕見券を利用したので、仲入り後からの入場となった。

仲入り

風藤松原 漫才
初めて拝見。「ふうとうまつばら」と読み、二人の本名を並べたコンビ名だそうだ。ツッコミの風藤さんとボケの松原さん。独特のテンポが笑いを呼ぶ。ゆるくて、少しキモイ芸風。大喜利ネタが楽しい。落語協会にはいなかった芸風の漫才師。これからも寄席で拝見したい。

柳家小平太「おすわどん」
久し振りに拝見。まだ真打昇進を果たされてからそんなに経っていないのに、膝前の出番という大抜擢。これも席亭が実力を認めた証拠。実際も落ち着いた高座で、あふれる老成感はベテランの香り。技量は凄いと感じる。
噺は、お諏訪どんが妾で、女房の許しを得て家に入った設定で、歌丸師匠の型とは少し違う。ネットで調べると喜多八師匠の型かと思われる。妾にした方が、お諏訪どんが女房の幽霊を恐れる理由になるので、より筋書きの効果が高まるという工夫。長閑だけれど、背中がヒンヤリという怖さも漂う高座。また好きな演者が増えた。

柳家小菊 粋曲
膝代りは、陽気できれいな小菊姐さんが華やかに唄声を披露。都々逸と早弾きの両国風景。トリの一席の期待を盛り上げるアシスト役が見事。

橘家文蔵「ねずみ穴」
この演目は、私が勝手に一之輔スペシャルと呼んでいる人情噺。と言うのも、落語日記を遡ってみると一之輔師匠で過去4回も聴いていて、他の演者ではさん喬師匠と扇蔵師匠でしか聴いたことが無い演目なのだ。なので、私の中では、ねずみ穴と言えば一之輔師匠なのだ。
この噺は、人生の冷酷さや非情さに直面する人間の恐怖心や苦悩を鮮烈に伝えてくれる演目。人情噺の中でも、これだけ強烈に観客の感情を翻弄する噺は、他にはないだろうと感じている。他の演目では味わえない、まさに感情のジェットコースター搭乗体験が出来る噺なのだ。
この噺はネタ出しなら、観客側も聴く覚悟を持って臨める。しかし、この噺と知らずにいきなり聴かされると、夜道で通り魔に遭ったような衝撃を受ける。聴く側にも、受け止める覚悟が必要な噺なのだ。
そんな演目がこの芝居でネタ出しされている。文蔵師匠がこの噺をどのように料理して聴かせてくれるのだろうか。これは絶対に聴かねば、そんな強い欲求に曳かれての訪問となった。

この演目は、ネタバレによって未体験者から楽しみを奪うという傾向が非常に強いので、この一席の感想を書くにあたって筋書きに触れることは、なるべく避けることとする。読者もこの噺の筋書きを了解しているという前提で書き進めるので、この噺の未体験者にとって不明な記述も多々あることを予めお断りしておく。
マクラなしで始まり、結局は全編50分の長講となった。通常営業の寄席の主任の持ち時間としても異例の長さだ。それが、まん防下の時短営業の寄席で実現させたのは、この長講のために出演者全員で持ち時間を削るという協力があったからだ。さすが、寄席は団体戦ということを痛感させられる。
文蔵師匠の一席は、一見、荒削りで無骨な印象の語り口。しかし、磨き上げたセリフには無駄がなく、言葉を大切にされていることを感じさせる。文蔵師匠は、繊細さと豪快さを合わせ持つ芸風と言われている。この一席もまさに、セリフの繊細さが際立つ印象だった。

この噺で私が注目しているのは、兄の人間性とその感情表現だ。この噺によってどれだけ心が揺さぶられるかは、この兄の言動次第と考えている。これは、この噺を聴く機会を重ねるほど、ますます痛感してくるのだ。
独断的な究極の判断をするとして、この兄の本性が冷酷な人間なのか、温情ある人間なのかを、どの場面でどこまで見せるかによって、この噺の持つ本質的な面白さを伝えられるかどうかが決まるのだ。
文蔵師匠は、冒頭から兄の言動を淡々と描いていく。その後の筋書きに従って、温情と冷酷の間を行ったり来たりする。なので、兄の本性が観客にはなかなか見えない。この噺の特色が観客に与える何とも言えない不安。文蔵師匠が描くように、兄の本性を見えなくすることで、この不安が増大するという効果を生む。これは、一之輔師匠やさん喬師匠が描くところの感情表現を少しずつ混ぜる兄とも違っている。

この兄は、商売人としては節制していて禁欲的であり、それが成功の秘訣とされている。この兄の弟に対する説教が、欲望の否定であり、かなり教訓的なもの。そして、この説教は、商売人としては至極真っ当なもの。
この兄の商売の理屈が、後になって弟や観客に判明する。それによって、欲望のままに酒と女で身代失った弟へ貸した商売の元手が三文だったことが、納得できるものとなる。
感情的な弟の反応で、そのときの観客は弟の味方となって可哀想な感覚も覚える。しかし、文蔵師匠が描く兄は、当時の行動が真っ当なものであり、冷酷さからの行動でないことが、後の言動で充分に納得できるものとなっている。意外な感じなのだが、感情よりも理屈で納得させた文蔵師匠なのだ。

商売人の成功体験の前に立ち塞がる、火事という人生の不条理。いかなる努力や強運や誠実さも、一瞬で吹き飛ばされる不合理。そんな不条理や不合理に対する不安や恐怖を象徴しているのが「ねずみ穴」。
成功者にとって、失敗や財産を失うことに対する漠然とした恐れは、常につきまとっているもの。これら恐れは、我々はみな大なり小なり抱えている。だからこそ、この噺によって心を揺さぶられるのだ。
落語を聴いて、ドキドキさせられることはあまりない。しかし、この噺では観客に手に汗を握らせることが出来るのだ。と言うことは、演者は観客をドキドキさせることの快感を味わっている。この噺は難易度が高いと思われるが、その難関をクリアした者だけが、この快感を味わえるのだ。この日の文蔵師匠の下げの後の表情からは、してやったりという演者の快感が顔を覗かせたように見えた。
観客としても、凝縮された人生の悲哀を目の当たりにして、感情が解放された快感を味わうことができた。そんな、満足の一席だった。

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