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答えは自分の中に (2021'冬)

 12月とは思えないような温かくて穏やかな日々が、
元旦の積雪から一転した。

日中も当然のようにマイナス気温だし、
風があれば寒さは倍増。

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玄関前の屋根下に設置している我が家の台所では、
伏せた食器も、シンクのタワシも まな板に置いた蒟蒻も、
見事に一瞬で凍ってしまう。

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 こんな日は、のんびり家の中でちくちく。

まずはたまった穴あき靴下や座布団カバーのダーニング。
数年はいて、傷みが激しくなっても
まだ使い続けたいお気に入りのもんぺの当ても。

繕いもの箱に突っ込んでおいたそういうものを、
順番に片づけてしまったら、
その先は新作。

古布のパッチワーク&刺し子は
ここ数年の私の冬のお楽しみだ。

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 先日、自流と夫と3人で、
自流が一人暮らしをする場所へ遠出した。
無事アパートが決まって、自流が弟子入りする棟梁にもご挨拶ができて、
少しほっとしたような、寂しさが一歩また近づいたような・・。
 
 2年前、当時16歳の湧が、竹籠職人を目指して
九州で半年過ごすことになった時は、
そのまま帰ってこないことも想像して、随分気持ちが揺れた。
結局予定通り戻ってきたのだけど、
おかげでよい練習になったというか、
心の準備が少しはできたと思う。

上2人の兄が出る日も、それほど遠くない様子だが、
行く先に、信頼する人、慕える人が1人でも2人でもいれば、
あとはなんとか自分でやっていく力を
3兄弟はこれまで十分蓄えてきた。
末のえがくも、ここ数年で随分しっかりするだろう。

私も夫も10代で家を離れたし、
自分の子ども達も、ぜひ自分の世界に、
自分の生きる場所に向かって飛び立ってほしいと思ってきた。

もちろん全く不安や心配がないわけではない。
でも勝手にこっちで気をもんだり、
先回りしたアドバイスや、寂しさ表現は、
本人にしたら困るだけなんだなと感じる。

えがくはまだこれからだが、
3兄弟のこれからは、もう親としては応援だけで充分で、
問題にした方がいいのは、むしろこれからの自分のほうだと、
最近になって気づいてきた。

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 (すっかりモノトーンになった家の裏山)

アラフォーと思っていたら、いつの間にかアラフィフになっていた。
大ごとではないものの、ここ数年、
小さな身体の不調や変化をぽつぽつ感じるようになっている。
友人から手術や闘病の報告を聴いたり、
少し遠い関係の友人や知り合いの、
突然の訃報に驚くこともここ数年で急に増えた。

 気になってきた身体の変化とは
そろそろきちんと向かい合った方が
良さそうに思っているところだったし、
精神面ももう少し上向きになれれば、という期待もあって、
20年近くお世話になっているホメオパスのKさんのセッションを
久びさにオンラインで受けた。

 ホメオパシー療法では、
病気や悩ましい症状=悪ではなく、
その時の自分を立ち止まらせるサインである、
としばし表現されている。

病気や症状は、無意識ながら、悪気がなくても、
自らの身体と心が作り出したものと、

頭でそうとわかっていても、
深い問題であるほど、
自分でそうと受け止めることを避けて、
いい訳を作ってごまかそうとしたり、
人や運が悪かったせいにしたり、
自分から逃げて実体を曇らせていることが、
私の場合はある。

そして向かい合おうとした時点で、癒しは始まっていることに、
結果気づかされる。

今回も「答えは自分の中にある」ということを、
気づかせてもらった。

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 (家の下に流れる川(写真では見えづらい)も雪景色の一部)

私の「これから」は、暮らしぶりも、やりたいことも、
多分今までと大きく変わらないと思う。

それでも少し前に比べると、
うっすら思い描くことができるようになってきた。

そう感じている変化は、
まだほんの小さいものだけれど、
自分の中にぽっと灯がともったような気分。

その光、大切にしながら、この1年を過ごしていこうと思う。

                     (なつめ)

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