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ゆとり

気持ちのゆとりがなくなると、視野が狭くなる。
そして視野が狭くなると同時にどんどん自分の事で手一杯になる。

怒涛な環境の変化から、
楽しんでいたはずなのに、
いつのまにか環境の変化が自分の気持ちを追い越していた。

そうなると人間不思議なもので、
どんどん視野が狭くなり、気持ちのゆとりがなくなる。

すると悪循環なもので、
上手くいっていたはずの出来事や環境が一転し、
滞ったり上手くいかなくなったりする。

一旦落ちつけば聞ける話も冷静さを失い、
全然耳に入らなくなる。

「あの時は」「この時は」と過去を振り返り、
恵まれているはずの今を自らの思い込みにより悲観する。

どんどん自分の思考がそちらに引っ張られ、いつしか染まり、
気づいたころには悲観的な気持ちで一色になる。

しかし、良くも悪くもそのゆとりの無さを作り上げたのは自分である。

では、その自分が作り上げた悲観的な世界にいつまで浸るのか。
いつその環境を脱するのか。

結局似たような環境を繰り返すのは、
「自分がその課題を解決していないからだ」
と何となく大人になり気づいた。

ならば過去に似たような環境に陥ったときは、
自分がどうなってたかを考えれば解決の糸口が見つかるはずだ。

気持ちにゆとりのある時の自分、
気持ちにゆとりがなくなった時の自分、
比較すると明瞭である。

自分の事しか考えられないか、
自分の目の前に現れる人に配慮出来る気持ちがあるか。

良くも悪くも他人は自分の写し鏡である。
自分がゆとりがなく他者にそのように接していれば、
他者も鏡のように変化をしていく。

そこで、そのまま自分を悲観し続け走るのか。
「それではだめだ」と立ち止まり再起してゆくのか。

どんな選択をするのかは自分次第だが、
気づけた環境に感謝し、
再び他者への思いやりの気持ちを思い出し、
無い中でも「そんな時もあるよね」と、
ゆとりを持った自分を少しづつ取り戻せば、
きっと時期がきたら、良い変化の風が吹くと思い日々を過ごす。


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