孤独とのつきあい方

自分は孤独への耐性が人よりも強い方だ(と思っている)。
というか、孤独もそりゃ辛いのだが一人でやれる活動が好きなので退屈する暇はないし、日常的に人と関わっていなければならない方がもっとしんどい。自分のだらしなさや協調性のなさを嫌でも眼前に突きつけられるからだろうか、ずっと人の中にいると息苦しく、自分の形がふわふわと見えなくなってしまう気がするのだ。

この地で孤独に暮らす外国人の女、というレッテルの私は人々から見ると心配と憐れみの対象だ。私にも友人がいるということを知って、人に安堵のため息をつかれたことも一度や二度ではない。

しかしこの性質はいくつかの活動への障害となる。たとえば私のやりたい「声のアンサンブル」は常に複数(それも結構多め)の人間と関わる必要があるのだが、またその世界に戻るためには途方もない気力を奮い立たせる必要がある。時間や場所を全員で調整して集まり、長時間を共に過ごすというのは今思うと結構な大仕事で、若い頃は勢いとパワーで乗り切っていたように思うが、今となってはもうそれも難しい。いや、当時も帰宅するなり倒れ込んでいたからだいぶしんどくはあったんだろう。

でも見ようによればたったそれだけのこと。ストレスとの付き合い方を体得すればなんとかなるかもしれない。第一、せっかく大好きなことがあるのにそんな理由で関わりをやめるのは寂しいではないか。仕事として続けるには体力的にも無理だが、趣味としてならまだ可能性はあるんじゃないかな、と未練がましく指をくわえている。声を重ねることからしか得られない幸福や満足感が確かにあるのを知ってしまうと厄介だ。

今は時間的にも無理なので、再開するにしてもだいぶ先の話だから、まずは似たような満足感を得られるものが他にないだろうかと探しているところだが、そうそうあるわきゃない。

もう少し色々なことを手放せれば、考えようによってはただの自意識過剰、と割り切ることができる日が来るかもしれないし、人といることが平気になる日が来るかもしれない・・・いや、我が子とですらずっと傍にいられないので望み薄ではあるが、まあ絶望もせず気長にチャンスを待とうと思う。

他にも「やりたいことリスト」はまだまだたっぷり残っているから。

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