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雨があがって、風の吹いた日、夏のはじまりは、お誕生日の12日。

降っては降っては、の雨模様の合間、ぽかりと晴れた日。

駅で待ち合わせして、久しぶりに会えて嬉しいな~とニコニコしながら、
レンガの坂道を曲がり、一緒に風に吹かれながら、不思議な裏路地を歩いた。

小さなビオトープがあって、青いトンボやメダカがいたんだよ。


それから、素晴らしく香り高い珈琲店に入り、

さて、私はどうしたいのかな?と感じては、

では、そうなってる状態をコーヒーに写しますからね、飲んでみて?と言われて、飲んでみては、

だんだんに、味わいが際立って、よりそのものの純度が感じられる、生きている、繊細にも豊潤であり、軽やかで、などなど、

そんなことを遊びのようにしながら、あー美味しいと、眠っている自分を少しづつ揺り覚ますように、丁寧に淹れられた美味しい珈琲をいただいた。

そしてまた歩いて、風に吹かれた。

どこから吹いてくるのだろう? ここは何処なんだろう?

今日はたまたま、私のお誕生日だったんです、、

と、お祝いしてもらうことになり。

VIVO(生き生きとの意のスペイン語)という飲み物がシュワシュワするお店で、


何があってもだいじょうぶ!私は私だから、という、贈り物をもらった。

裸で白塗りで踊れるくらい!! な (笑)


桃園の路地の一角の、戦前の建物だという会館があって、迷い込んだように、
「ごめんください」
扇風機が回ってて、古い足踏みオルガンがあった。


こんなところで、リサイタルをするのもよいのではない??なんて話にもなって、


目指すは、ヨイトマケか?、アナスタシアのおじいさんか?のような、わけのわからぬ壮大さが、昭和の路地裏のようなところで、ほんの数時間で展開されて笑っていた。

お空には、もくもくの入道雲。

ほんの束の間の数時間だったけれど。

思いがけなく、その日一日がギフトのようなお誕生日となった。

Imagine all the people living life in peace

ジョン レノンは、どうして、あの歌をつくったか?わかりますか?

それは、ジョン レノンには、あの世界が見えていたからです。
と、くうかさんは、言っていた。


そして、その日の夜は、数ヶ月ぶりに再開した、天使館での稽古の日だったから、すごいギフトの一日。。


何があっても、(何がなくても)だいじょうぶなんだろう。

迷いや、葛藤や、不安も、カラダに甘受し、シュワシュワ発酵培養されたかのように、

大地に根を張ったように、暗闇もそのままに吸い上げるように、歌えばよい、踊ればよい、それは、

解放であり、昇華であり、ささいなささやかな、創造かも知れないし、

小さな祈りかも知れない。

種は暗い土の中、芽をだし花を咲かせる、光と闇と生命の法則そのものでもあろうというもの。

わたしの、声にもならない声に耳を澄ませてくれて、ありがとうございます。

忘れ去られそうだった光のカケラを掬い上げるように、透徹した、愛の結晶のようなその瞳の奥に映すように

私の生きてきた中の一日を

特別な誕生日にしてくれて、一緒にいてくれて、

本当にありがとうございます。

2020年7月12日

<微細なものほどに、大きな強い力を持つ、と、天使館の尊敬するKasai先生は、教えてくれたのを、思い出した。>

わたしは、歌うことで、世界を創造したいと、一生涯かけて(出来なくても)それをしようとしている、
アナスタシアのおじいさんが、そうであったように、

と、あまりに突拍子なくて、身の程知らずで言えないことを思い出して、話したら、

うん、うん、と、くうかさんは、わかってますよ、というように、

ダイヤモンドのような瞳で微笑んで

頷いてくれた。

これは、私の撮った写真なので、お借りしましたが、
私が撮ったと言っても、くうかさんが、カメラをセットして、ここを押してください、と言われるままに、撮りました。
私も、とっても好きな写真です。

ありがとうございます(*゜ー゜)ゞ⌒☆