生きてるだけで偉いに決まってるやん
今京都は梅が見頃。
北野天満宮の梅園が見応えがあってよかった。
京都に住んでいると、こんなに美しいものが四季折々に近くにあるのだから、逃さずに見に行かなければという使命感に駆られる。
写真を撮るっていう趣味活が捗る。
最近は写真撮ったらすぐにパソコンに取り込んでLightroomで現像、気に入ったものを印刷するまでをフローにしている。
美しいものを見たら、写真に撮りたい。
自分の見たものを、こんなのがあったと、残したい。
来年もこの梅は変わらず美しく咲くことでしょう。
だけど、私が見た今年のこの瞬間の梅は、この時だけなんだな。
なんか意味深なタイトルにしてしまったけど。
ほんと、そう思う。
写真を撮ってるとさ、なんで写真を撮るんだろうと漠然と考えるし、それはもう、なんで生きてるんだろうとかなんで生まれてきたんだろうとかいうレベルまでいく問いで誰もがきっと考えることだと思うんだけど。
みんなさ、生きてて偉いんだよ。
それだけで立派だよ。
私はこの3年で病気して、10時間を越える大きな手術を2回受けた。
治療は今も続いているし、多分、完治の見込みはない。
私が生きている間に革命的な医療の進歩がない限り、死ぬまでこの病気と付き合っていく。
あちこち体のパーツがなくなって、それでも日常を過ごしている。
それだけの目にあって、ようやくわかったこと。
みんな、生きてるだけで偉い。生きるってすごいことよ。
人が生きてるっていうのは、決して当たり前のことではない。
私にとって写真を撮って残すということは、今、今日も生きているという喜びの顕れなんだ。
それが人によっては、絵を描くことであり、歌うことであり、刺繍や、布を織ることや、小説や映画を撮ることかもしれない。
世界は美しいものや楽しいもの、愛しいもので溢れている。
生きるっていうのはそれを感じることだ。
もちろんさ、子育てとか仕事とか現実的な生活は諸々あって。そんなこと言うてる場合じゃないって思う時もあるんだけど。
趣味だとか表現だとか、アートか仕事かとかプロとかアマとかそう言う枠を超えて、ただただ「残す」のが今の私が写真に求めることだと思う。