やよいのきもちで
※こちらはWEBマガジン「She is」公募エッセイ用に書いたものです。
さて、突然ですがここで質問です。
今、あなたの目の前には、お茶碗いっぱいのほかほかごはんがあります。
ただし、具はいっさいありません。塩こしょうその他調味料の類もなし。お茶漬けにもできません。
そんな時、どうやって食べますか?
「単調な味だけど、がまんして食べるかな。それしかないでしょ」
うん、それはまったく正しいのだけれど、ちょっぴりさみしい。どうせなら喜んで感謝して食べたくないですか?
具なしのごはんをおいしくいただく。
そのために私が編み出した方法は、「白米オンリー=味気ないもの」という考え、常識のようなものを変えることだった。
想像してください。
あなたは弥生時代にいます。建物と言えるのは住居くらいで、辺りにはとても大きな田んぼがあります。緑や動物もたくさん。
今年、みんなで初めて田植えをして、秋になって稲穂が垂れてきたら収穫して。
試行錯誤してようやくできたのが、この1杯の炊き立てごはん。
初めて目にする、つやつやの粒たち。この輝きはなんだろう。
ひとくち口に入れると、お米の弾力と甘みが広がる。
今まで食べたことのないおいしさ。やわらかさ。
なんだこれ!これよくない?すごいよね!ときめくね!!
家族や仲間で笑いあう。夢中で頬張る。
昔は味付けなんてなかったとしても、それだけでとても感激したはず。
奇跡のような食べ物だったと思うのだ、ごはんは。
もちろん、その当時はおそらく今のような白米ではなかったと思うし、これが単なる空想であることもわかっている。
でも、視点を変えたり、今、ここではないどこかの人になりきって考えてみるのも、悪くないのではないかと思う。
単純に楽しいし、生活していく上でプラスになる気づきが得られるかもしれないから。
どんな食べ物も、初めは素晴らしい存在だったに違いない。
だから私はファミレスで残りがちなライスも、弥生人の気持ちで食べるのだ。
おかずの配分を間違えても、もう大丈夫である。