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桜子さんと私をつなぐもの

※こちらはWEBマガジン「She is」公募エッセイ用に書いたものです。


「ただいま」と帰ると、桜子さんが一生懸命雑誌を読んでいた。

桜子さんというのは、私の母のニックネームだ。従って、本名ではない。なぜそんなあだ名かというと、彼女が醸し出す雰囲気がそれっぽいから、だそうだ。「桜子さんって呼んでいいですか?」と知人からいきなり言われたらしい。

周りの人がそういうことを言うのもわからなくはない、と思う。端的に言うと、彼女はとても「ちゃんとしている」ように見える。程良い髪形と化粧、家事をこなし、色々たしなんでいそうな感じなのである。さらに、商店街の謎めいた洋品店に飾られている、だいぶ着るのに勇気がいる服。それさえも中和し難なく着こなしてしまう能力も備えている。マンガ「ハチミツとクローバー」で言うところの「おしゃれチャンプ」みたいなものだ。そういえば昨年、ヒョウ柄のブラウスを持っていた桜子さんは、あまりにもピコ太郎っぽいデザインだったのでもう着れない、とぼやいていた。

さて、娘の私はそんな母の「ちゃんとしている」性質はあまり受け継がなかった。そもそも素敵なあだ名で呼ばれたことは一切ない。では、何が似てしまったのかというと、「ミーハー精神のようなもの」である。
私のミーハーはどちらかというと、作家やクリエイター方面に向かう。美術展やトークイベントやお店に行くことが好きで、毎週末「どれだったら行けるかな……」とスケジュールとにらめっこしながらはしごする。疲れていてもけっこう頑張ってしまう。


一方で桜子さんのミーハーは芸能界中心だ。現在、彼女は某アイドルに熱中している。出演するテレビやラジオをチェックし、連載している雑誌を買い、コンサートに行く。ここ何年も、家族間の会話の70%が彼の話題で埋められており、もはやアイドル氏は遠い親戚なのではないかと、錯覚に陥ることもないではない。ちなみに彼に出会う前の母は、別の俳優の追っかけをしていたし、もっと前は芸能人が出るゴルフイベントにも出かけていた記憶がある。
ちなみに彼女は音大出身なのだが、本筋の話よりも、アルバイトでテレビに出た時の話を聞かせてくれる方が圧倒的に多かった。本当に心の底から華やかな世界が好きなのだと思う。

しかしそんな彼女も私が小学生の頃は、ミーハーのミの字も発していなかった。父が単身赴任をしていて、母が一人で家と子供二人を守っていたから、とてもそのようなことをする余裕はなかったのだろう。でも、もしその頃にSNSやYouTubeがあったら、ひょっとすると芸能通の人間として名を馳せていたかもしれない。

私は今ちょうど、母が自分を産んだ年齢になっており、そして間もなくそれを超えようとしている。約束された未来がなく、ちょっと、いやかなり恐ろしい。それでも彼女から受け継いだ精神でなんとか生きていく予定である。
今は、昔よりもチャンスが増えたし、やりたいことを我慢しなくていい時代になった。それは本当にありがたい話だ。だからこそ、ここでこうしてあなたに読んでもらうことができているのだから。

「おかえり」という母の手には、アイドル氏の載った雑誌。ああ、今日は発売日だったね。いつまでも桜子さんが、健やかにミーハーでありますように。


  

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