母と娘
母が使った孤独という言葉が、一日中ずっと頭から離れなくて、ひとり夜の公園でLINEを送った。
自分の想いや考えを、口から伝えられる気はしなかった。
"みんな幸せでも孤独は持ってて、その埋め方は人それぞれなんだろうね。
生きていればこの上なく幸せな時間も、底なしに寂しい時間もあるけれど、私の帰る場所はお母さんのところだと私は思っています。"
既読がついてから少し時間が経ってから送られてきた母の言葉を何度か読んで自分の中にも入れたら、なんだかとても泣きそうになって電話をかけた。
今度は今の自分が文章にまとまる気がしなかった。
母の仕事。母の人生。
私の仕事。私の人生。
"これはお母さんの自身の人生の話やから。"
上京して6年目。
夜の東京でそんな話をするほどに時間は経ったのか、と思った。
大学進学を機に上京する前や上京して間もない頃は、時折母に当たってしまうことがあった。
今にして思えばそれが反抗期や思春期というものだったのかもしれない。
名前を与えてしまえば簡単だけれど、当時はそんな自分にも腹が立って情けなくて、当たった側から自己嫌悪に近い感情に飲まれた。
今は距離が近すぎるのかもしれない。
実家を出る前は何度もそんな事を考えていた。
上京してから実家に帰っても、長期間一緒にいると一度は喧嘩をしてしまうため実家に帰る期間を短くすることも増えた。
"その考え方は誰に似たんやろなぁ。"
生きてきた時代も年数も違えば、母と娘という立場も違うから当然のことでもあるが、そんな言葉を何度も母に言われるほど、お互いの考え方は違う。
それでも何かあった時に、笑いながら泣きながら全てを話せるのは母だった。
人間関係、家族、恋愛、自分の将来。
時に傷つけてしまいながら、色んな話をしていた。
それでもやっぱり、これじゃだめだと決心した瞬間があった。
言動と行動が伴っていない。
絶対的な存在を当たり前だと思い過ぎて甘えていた。
一番身近にいる大切にしたい人を大切にできないでどうする。
「大切にする」のことばの中身なんて分からないままだったけれど、そこから少しずつ、変わっていったと思う。
「変わりたい」という気持ちを強く握りしめたことが一番の変化だった。
先日、久しぶりに母が東京に遊びに来た。
色んな話をする中で、少し昔の話になった。
"あの時は難しい子やなぁ、大丈夫かなぁって思ってたんよ"
私自身もあの当時の自分を鮮明に思い出して改めて申し訳ない気持ちが重く募った。
直接伝えることはできなかったが、母を見送ってからLINEで自分の想いを伝えた。
当時のこと、今のこと。
上京して6年目。
母と娘であることはこれまでもこれからも、変わることなどない。
でも、「母と娘の人生」だけでなく母と私それぞれの人生についての話ができるようになっていた。
既読がついてからしばらく経ってからの返信。
"人の考えや思いが理解できる、豊かな女性になったと思うよ。"
この言葉で、ようやく少しは大人になれたのかもしれないと思えた。
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