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スポーツがくれたもの


そう聞いて最初に私の心に浮かんだのは、カンボジアだった。

カンボジアには歴史的な背景から体育や運動会といったスポーツ教育の文化が未だにあまり普及していない。
私は、学生時代にカンボジアで毎年自分たちオリジナルの運動会を開催する「FUMIDASU」という学生団体に所属していた。


夏の渡航までの約一年間、毎週メンバーで集まってミーティングを行う。新しいメンバーを集めるための新歓や広報活動のための写真展、そして運動会の資金を募るクラウドファンディングなど活動は多岐にわたっていた。

私がこの団体に入ったのは大学二年生の時。理由は、大学に入ってから「何もしていなかった」からだった。
毎日大学へ行き、バイトをして、サークルに行って。気が付けばその繰り返し。
楽しかったのは確かだったが、楽しいだけだったのも確かだった。

「運動会を通して、カンボジアに幸せ溢れる時空間を」

これが、この団体の活動理念だった。
でも本当に幸せをもらったのは、私達の方だったかもしれない。

始めはシャイでなかなか近寄ってきてくれないカンボジアの子ども達も、運動会を進行するにつれて次第にみんな心を開いてくれた。

騎馬戦、障害物競走、リレー、玉入れ、しっぽ取り。

私達が考えた種目一つ一つに全力で取り組み、熱狂し、最高の笑顔を見せてくれた。
種目間の休憩時間などには子ども達の方から私達の手を引き、遊びに誘ってくれる程だった。



カンボジアの子ども達と日本の大学生の私達。

言葉の通じない私達に、運動会は言葉の壁を越えてお互いの心と心を繋ぐ橋になった。
そしてその繋がりが、大きな幸せを運んでくれた。

運動会を終え、小学校を後にする前に子ども達みんなとハイタッチをした。
ハイタッチをしながら、涙が止まらなくなった。
その日1日子ども達と過ごした時間や、目の前で自分に向けてくれる笑顔が本当にかけがえのないもだと思った。

この瞬間を迎えるまで、本当に色んなことがあった。
メンバー同士でぶつかることもあったし、自分の無力さや至らなさが情けなくて泣いたこともあった。
悩みは尽きなかった。
それでも、その全てが報われたと思った。
見渡すとFUMIDASUの仲間は皆、くしゃくしゃの泣き笑い顔になって子ども達とハイタッチをしていた。
一人一人に「ありがとう」と伝えながら。



ただ、運動会をしただけ。
自己満足で偽善のように聞こえるかもしれない。
でも、私は学生時代にあれ程までにワクワクして、熱狂して、目の前にある「今」に無我夢中になった経験は他には無かった。
そしてそれはあの場にいた全員にとって、同じ感覚ではないかと思っている。

生きていれば全てが元には戻らないし、永遠や不変なんてこともきっと無いけれど。

あの日、あの場所で過ごした時間も目にした光景も沸き起こった感情も、そして全員の笑顔も。
誰がなんと言おうとそれは事実で、私にとっての宝物になった。

その想いが揺らぐことは決して無い。

カンボジアの子ども達も、日本人の私達も。

運動会が国境も、年齢差も、文化の違いも、言葉の壁も。
私達の間にあった全てを越えて互いを繋ぎ、紡ぎ出した時空間。

その時空間は、その場にいた全員が見ている世界を動かした。
新しい夢への一歩目になった。
幸せが溢れたからこそ、一人一人の夢を生んだのではないだろうか。

運動会は架け橋だった。
その橋は人と人との心を結び、人と夢とを繋いだ。

その橋の先に見つけた夢を私は今、追いかけている。


Photo by 馬渕颯太 

学生団体FUMIDASU

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