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天気は気持ち

天気は気持ちで晴れる。

わりと本気でそう思っているところがある。

気象予報士の方には失礼極まりないが、例えば「この日は晴れてほしい」という日の天気予報が雨であったらとりあえず信じないことにしている。
「絶対晴れる」と心の中で勝手に予報を塗り替えてみている。

そうすると案外雨が降らないことも多くて味をしめてしまった。
もちろん、自分の勝手な脳内天気予報に従って傘を持たずに外に出た結果、やはりしっかり雨に降られたという経験も何度かあるが、それでも私はある時から「天気は気持ちだ」と言い続けている。


中学生くらいの頃、親友と地元の愛知から三重にある伊勢神宮へと出かけたことがあった。
当時の私たちにとっては大きなイベントで、その日を心待ちにしながら日々を過ごし、当日も心躍らせながら向かったことを覚えている。

しかし到着してみると空はどんよりと重く、いつ雨が降ってもおかしくないような様子だった。
実際、お参りへと向かう道中で時折傘をさす場面もあった。

せっかく楽しみにしていた日があいにくの天気。
横にいた親友を見ると、やはりなんとなく表情が曇ってしまっていた。

その天気自体が残念だというよりも、その天気によって楽しい時間にほんのり残念で悲しい空気が漂うことが悲しいなと思った。


「もしさ、この天気が今からめちゃくちゃ晴れたら、めっちゃ面白くない?」


厚く空を覆う雲を指して、思いつきでそう言ってみた。
「今にも雨が降りそうな空」を「でもこれが絶対に晴れる空」と思って見てみると、その現実味の無さがかえって面白くなった。
あいにくの天気なんかじゃなく、こんなに曇っているのに絶対晴れる「面白い天気」だと言い張った。


今思い返しても、なんだか突拍子もないことを言ったものだなと思う。

でもその日、その後も時折雨に降られながら親友と「でもこれ今から絶対晴れるからね」と言って何度もお腹を抱えながら笑い合っていた。


それから数年後、親友がくれた手紙の中でこの日のことに触れた言葉があった。

「あの時、なんて素敵な考え方なんだろうなって思ったよ」

彼女はあの時の私の思いつきのような言葉を、私たちが共に過ごした十数年間での印象的で大切な思い出のひとつとして挙げ、そんな言葉を贈ってくれたのだった。

素敵なのは、その親友の方だと思った。
それでもあたたかい心強さを感じた。
素直に嬉しかった。


あの日、親友とお参りを終えた伊勢神宮の帰り道。
午前中の重くどんよりとした空は次第に雲を薄くして、最後はまるで嘘のように気持ちよく青く広がった。

私は自分から「絶対に晴れる」なんて言っておきながら、本当に晴れるとは思っておらず信じられない気持ちだった。


その空を見上げながら
「天気って気持ちで晴れるんだね」
と二人でその日一番大きく晴れやかに笑ったことを覚えている。

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