見出し画像

映画館

ひとりなのに気まずいくらい映画館で号泣したことがあった。

高校三年生の終わり。
ひとりで映画館に行って観た一本の映画。

思春期真っ盛りの子どもたちとなんとなく頼りない父親と母親。
日常では喧嘩や言い争いが絶えず、四人家族は一つ屋根の下で暮らしているがバラバラだった。
しかし突然、世の中の電気ガス水道などあらゆるインフラがストップする。
そんな世界で生きていくため、家族四人のサバイバル生活が始まる。

サバイバル生活の中でもはじめは四人の歯車が噛み合わず衝突ばかりしてしまう。
しかし、あらゆるインフラが止まったいわば究極に人間的な生活を重ねていくことで家族は次第に一つになっていく。

といった内容だった。

コメディでハッピーエンド。
泣ける要素は正直そんなに多くはない映画だった。

でも、映画のエンドロールを見つめながら号泣している自分がいた。
どう考えても誰よりも泣いていた。

あれは自分自身の後悔の涙だった。

高校三年生の終わり。
私は家族に反抗的で不機嫌で、過去の自分を叱る意味でも強く言わせてもらうと最低だった。

あの頃私が知っていた世界は今よりもずっとずっと小さくて、自分に自信というものがこれっぽっちも無かった。
自分は結局何をやっても絶対にうまくいかない人間だと本気で思っていた。

春から東京の大学に進学することが決まり、単身赴任している父と、既に上京して大学に通う兄と実家にいる母。
物理的ではあるが家族がバラバラになる。

映画ではバラバラだった家族が一つになるけれど、自分の家族はこれからバラバラになっていく。
素直になれず、ちっぽけな自分を抱えてどうしたらいいかわからないまま。
「バラバラ」はきっと物理的な意味を超えていってしまうと思った。

ハッピーエンドがどうしても見えなかった。
そんなに泣けないはずの映画のエンドロールが見えなくなるほど後悔した。


上京してこの春で七年目になった。
世界はあの時の自分が思っていたよりももっと大きくて深くて、未だに全体像なんて見えないくらいだった。
そんなふうに知ったような口がきけるほどの人間ではないし、人も世の中も計り知れないけれど。
人はやっぱりあたたかいものだと思っていたいから、あたたかい人間でありたいと思う。
七年目、この歳になってようやくそんな考え方になった。

家族は依然としてバラバラのままだが、それは物理的な意味に留まった。
家族は、思っている以上に家族だった。

形や名前や距離が変わったとしても変わらない、変えられないものがあるから家族と呼ぶのだろう。
そうは言ってもそれぞれがそれぞれの人生を生きていて、踏み入れないところもわからないことも沢山ある。
自分にはどうにもできなことなんて山ほどある。
ならば私は、家族の中で「娘」であり「妹」である自分にとっての最良の選択を、私がしていくまでだ。
そうやって向き合い、進めるようになってきたときにようやく自分も大人になったと思えた。

ひとりなのに気まずいくらい映画館で号泣していた自分は、過去ではなくまたどこかで出会ってしまう自分かもしれない。
でもきっと、たとえハッピーエンドが見えなくても、そこでは終わらない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?