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宝箱   2.祖父への手紙

2008年フィンランドにて、祖父の葬式に出席できなかった時に書いた手紙

おじいちゃん、海の向こうであなたの訃報を聞きました。ここ数年間、いつかこうなることは覚悟していたけれど、こうして本当に会えなくなる日がくるなんて、本当にとても寂しいです。

おじいちゃんとは、あともう一度、ビールを一緒に飲みたかったな。寝たきりになってからも、時折、つやつやのほっぺで調子が良さそうにしている日などがあると、もしかして、そんな日がもう一度くるのではと、淡い期待を抱くこともありました。

最後の一週間はもう水分を摂るのもままならなくなったと聞いて、その昔、晩酌をしながら、東京のスエヒロで食べたやわらかいビフテキのことをと語ってくれた日のことを思い出し、切なくなりました。

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お腹がすいていたでしょうに、最期は苦しまずに安らかに逝かれたのだと聞いています。よくがんばったね。お疲れ様でした。

孫として何もしてあげられることはなかったけれど、生前のおじいちゃんとの楽しい思い出を子ども達に語り継ぐとともに、こうしてここにも書き留めておきたいと思います。

ふり返れば、幼いころから、新潟から遠い埼玉に住んでいた私たち姉妹にとって、夏休みにおじいちゃんとおばあちゃんの家に行くことは、来る年も来る年も待ち遠しい一大イベントでした。

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関越自動車道を通って、いくつものトンネルを潜り抜けて、懐かしのおじいちゃんとおばあちゃんの家に近づくと、玄関前のたらいの中の冷たい水でスイカが冷やされていて、引き戸は大きく開けてあって私たちを待ち受けていました。

玄関口から大きな声で「ただいまぁ」と呼びかけると、エプロンで手をふきながらおばぁちゃんが出迎えてくれました。おじいちゃんは、どうしていたのでしょう。まだ私たちが幼く、役場で働いていた時には仕事で家に帰っていかなったのでしょうね。それでも、そのうち、私とお姉ちゃんが大きくなって、上越新幹線に乗って二人だけで帰ってくるようになると、役場を引退した後だったのか、裏庭で甚平姿のおじいちゃんがすももをもいでくれているのが見えました。おばあちゃんちのすももが大好きだった私は痛く感激して、「おいししいおいしい」いくつも食べましたっけ。

現役時代のおじいちゃんはビシッとスーツを着こなし、四角い顔に三角の眉毛で、朝ご飯に生卵をぐいと飲み干すような人だったので、そのおじいちゃんが孫の為にすももの収穫をしている姿は、私の目にはなんとも新鮮に映ったものでした。

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お姉ちゃんを筆頭に、孫という孫が女の子ばかりでかしましいからか、おじいちゃんはよく、一人で別の部屋で煙草を吸いながら「土曜ワイド劇場」や「火曜サスペンス」を見ていましたよね。テレビとなると、私たちがアニメや子供番組ばかりを見るので「エム・エチ・ケーを見ろ」としかめっ面でいうこともありました。

私はよく、一人でサスペンスかエム・エチ・ケーを見ているおじいちゃんの隣に座ってちょっかいを出しに行ったものです。石油ストーブとたばこのにおい。その組み合わせは何故か、私を安堵感に包んだものでした。私たちは、お正月にも、まだ雪がとけきらぬ春休みにもよく新潟に遊びに来ていました。

あれは、みんなで紅白歌合戦を見ていた大晦日の日のことだったでしょうか。また一人で煙草を吸いながらテレビを見ていたおじいちゃんの隣に座って、「たばこは体に悪いんだよ」と注意をし、「長生きできないよ」と憎まれ口まで叩きました。そんなこまっしゃくれた孫に怒るわけでもなくあなたは、「人生、太く短く」とだけいって、ぷうと鼻から煙を吐き出しました。

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私は、(そんなのは嫌だなぁ、寂しくなるじゃないの)と思ったのだけれども、背中はもちろん、首にも肩にも毛がもじゃもじゃと生えていて、赤いふんどしが様になってしまう「男の中の男」のおじいちゃんのことだから、そんな風に潔くあの世にいってしまうのが、性に合っているのかしらとも思いました。

そんなやりとりがあってから、十数年後、あなたは本当に突然脳梗塞で倒れてしまって、二度と自力で立ち上がることはありませんでした。

おじいちゃんのことだから、リハビリでも何でもして、また立ってスタスタと歩き出すのかもと淡い期待を抱いたりもしたのですが、若くして同じ病に倒れた経験のある、私の父の経過を知る限りでは、リハビリなどは並大抵のものではなく、当時の父よりもずっと年上のあなたでは、現実はもっともっと厳しそうでもありそうでした。

あれから十何年もの間、あなたは寝たきりで車いすを常用する、「おばあちゃんの赤ちゃん」同様になりました。おばあちゃんを筆頭に、介護をする周囲の皆さんも大変そうだと見守る傍ら、冗談にせよ「太く短く」といっていたおじいちゃんの言葉がいつも気にかかっていました。もしかしたら、私たちが無理やりこの世に引き留めているだけかもしれない。なのに、あなたは、「おっこ、おっこ」と咳をしたり、食べ物にむせたりしながらも、毎日毎日を生き延びていてくれました。この世にいつづけてくれました。

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その昔、せっかく新潟に来たというのに、朝寝坊でなかなか起きてこない私に「おい、まぁだ寝ってるのか」と起こしにきたおじいちゃん。少しお料理ができるようになって、おばあちゃんの手伝いをしていたら「ええー、おまんが料理なんかするのか」と冷やかしに来たおじいちゃん。アメリカからの留学帰りに、お土産のショットグラスで乾杯するや否や「アメリカなんかに行ったって、おまんなんかまだまだダメだぞ」と挑戦してきたおじいちゃん――

一瞬にして、そんなおじちゃんではなくなってしまったけれど、まだ動かせるほうの手で顔をごしごしこすったり、話しかければ目でまたたきをして返事をしてくれて、細く長く、毎日を過ごすようになったあなたは、やはりこの世に存在していたのでした。

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おじいちゃん、あなたが残りの人生を全うしていた日々のこと、そして、あなたが身をもってみんなに教えてくれた生命の尊さというものも、あなたとの楽しい思い出の日々と共に、いつまでもしかと覚えておきます。

おじいちゃん、今までどうもありがとう。細く長く、命尽きるまで最期まで生きていてくれてどうもありがとう。今こそは、天国で美味しいお酒とビフテキを味わっていることを祈ります。どうか、いつまでも空のかなたから、下にいる私たちを見守っていてください。

あなたの孫より。

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