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ゲルハルト・リヒター展へ行ってきた#生後171日目

連休初日、赤ちゃんを夫に任せてゲルハルト・リヒター展へ行ってきた。

予備校生(10代!)のころから憧れのリヒター。
川村記念美術館での個展はもう16年前らしい。あのときは美術館はすいていて、そのとき付き合っていた彼と観に行った。ああ、懐かしい。川村記念美術館は東京からは少し遠いので、デート気分旅行気分で浮き足立っていた記憶。。感想もなにも書き残していない。

今回の国立近代美術館での展示、時間指定券を購入したけれど美術館に入る前15分くらい並んだ。すごい人だった!

会場に入った瞬間のあの高揚感!
わリヒターだ、本物だ…!興奮!
オイル・オン・フォトが好きで画集ではたくさん観たけれど。実物を観るのは初めてだった…!

10代の頃から好きと言ってきた、今年でリヒターは90歳になるという。どんな風な人生で、どんな風に暮らしているのかなんて考えたこともなかった。
「リヒター」っていう人は通り越して、作品についてだけ憧れていたみたいだ。

授乳時間があるので4時間以内に帰宅しなければならない…!
家から近代美術館まで往復2時間40分。14:40に家を出たけれど、50分ほど観たらすぐ17:00。ポストカードも買ったし、そそくさ家路に。図録は帰ってamazonで買おう。 
結局3時間40分おでかけしていた。祝日なので電車も満員でもなく、静かに帰宅。はるくんは泣かずにおうちでいいこで待ってた。

夫には竹橋まで行っていたことは内緒だ。でも、生活に埋もれていっちゃう毎日の一方で、リヒターの作品とか表現とか、想いを巡らす時間が絶対に必要と思う。

そういえば、リヒターの作品のなかに赤ちゃんを描いた油絵や、オイル・オン・フォトにも赤ちゃんの写った写真が3枚くらいあったのが印象に残っていて、生活と表現が決して別のものではなくて、同じ時間の中に一緒にあるものなんだって感じた。

「見る」ってなんだろ。
毎日家の中しか見ていない、
ゴミ、洗濯物、料理、食材の文字やパッケージ。
かろうじて野菜や空はきれいだけれど、
見ているものが思考や皮膚や言葉になるのなら。
美しいものを見ていたい。
リヒターがただ美しいものなんて思わないけど
見ることについて考える。
ストライプ
アブストラクト
ぼやけた油絵
グラファイト
日常で見てるものってなんなんだろう。
はるくんに美しいものをみせてあげたい。手に取れる場所に画集や図録を置いておかないと。


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