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笑いの文脈依存性(小レポートの供養)

200字程度の小レポートを授業中にだらだら書いてたら完成までに1時間半ぐらい費やしてしまいました。他にやることいっぱいあるのに!!!悔しいのでここで供養しようって訳です。短いのでぜひお読みください。僕が昔漫才をしてた頃の経験をもとにした文章です。



笑いとはフリと裏切りであるとよく言われる。A→Aというフリがあって、つぎもAが来るだろうと予測したところでA→A→Bと裏切ることで笑いが生まれるのだ。古典的な例を挙げると、「べっぴんさん、べっぴんさん、一人飛ばしてべっぴんさん」というボケはこれにきれいに当てはまる。このフリと裏切りのシステムは、「文脈を作ったうえでそこからあえて外れる」とも言い換えることができる。だから、漫才で笑いを取るためには、まず「観客と文脈を共有すること」が不可欠なのだ。

僕の経験で言うと、就活の面接をテーマにした漫才は、年配の方よりも大学生の方がよく笑ってくれる。大学生は「面接とはどのようなものか」「通常どのようなやり取りが行われるか」「面接会場の空気感はどんな感じか」の解像度が高く、面接という場の「文脈」を共有できているから、ボケをしたときに裏切りの落差が大きくなり、より面白く感じられるのだ。年配の方相手なら例えば「刑事が崖の上で犯人を追い詰めるドラマのワンシーン」という場面設定の漫才がウケやすかったりするが、これも同じ理由である。

また、観客が普段どのくらい漫才を見ているかによってもウケ方は変わる。お笑いが好きで漫才をたくさん見るような人は、A→A→Bという文脈の裏切り方に見慣れている。もはやA→A→Bという一連の流れ自体が「ベタ」な文脈として予測されているのだ。このような観客相手には、もうひと段階裏切るとよかったりする。例えばA→A→B→Cとさらに突飛なことをしたり、A→A→Aとあえて何もしなかったり、E!と突拍子もなく変なことをしたりする方がウケるのだ。だが、漫才を見慣れていない人相手に同じことをしても「ついていけない」「訳が分からない」と思われてしまうだろう。

もちろん漫才に限った話ではない。日常のあらゆる場面において、人が何で笑うか、何を面白いと感じるかは文脈に依存するのだ。


結構雑な文章です。読んでくれた方ほんとうにありがとう。

お笑い好きな人からしたらごくごく当たり前のことしか書いてないと思うのですが、そうじゃない人には新鮮だったりするのかな?分からないけど、深掘りすればめっちゃ面白いテーマではあると思うので、気が向けばちゃんと書いてみようかなとか思います。読んでくれてありがとうございました!

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