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「青い芝の会の川崎バス闘争」って何?

昨日、車椅子に乗っていた人が乗車拒否された!っていうブログの紹介をしました。今日は、それに関連した昔ばなしをしたいと思います。

こんにちは、くつばこ+のうたです。毎日の日課は何ですか?っていう質問を自己紹介の時に聞かれたんですけど、noteの更新と答える勇気はありませんでした。読まれたら、ちょっと恥ずかしいじゃないですか笑。

☆青い芝の会ってなに?

青い芝の会は1957年に創設された、脳性まひの当事者の交流を目的にした会として生まれました。次第に、1960年代には社会運動色を強め、左翼的な思想を持つ団体になります。これは役に立たない障害者はどうなってもよいという政府の態度に怒りを感じ、生きる権利を主張していく必要を感じたことが原因みたいです。

☆バスの乗車拒否

そして、1976年頃に知名度が高まることのきっかけが起きます。バスの運転手が車椅子の乗客を無視してそのまま走り去るということが多発するようになりました。これは青い芝の会の事務所があった、川崎の近くのバスでよく起きていたそうです。要するに、多数の車椅子の利用者がいたことで、バスの運転手に腰を痛めた人がいて、そうはなりたくない運転手がボイコットしたということです。また、全国でも似たようなことが起きていたという話もあります。(青い芝の会側の話を参考にしてます)

☆川崎バス闘争へ

解決のために、まずは運輸省や東京陸運局と話し合いをします。しかしうまくいかず、バス停の前で座り込むことで運行の妨害を行いました。それでも解決は見えてこなかったことで、1977年4月にバスに籠城する事件が起きます。川崎駅のバス30台に乗り込み、バスに備え付けのハンマーで窓ガラスを割り、拡声器を使って演説をしたりしました。これがニュースで報道されることで、青い芝の会の知名度がかなり高まりました。

☆でも、これでノンステップバスは増えた

これによってノンステップバスが実際に増えたことは間違いないと思います。直接的な要因と言えるかはさておき、ノンステップバスを導入して、車椅子の人が簡単に乗れるようにするという発想の原点にあるとは言えると思います。もちろん、全部が全部ノンステップバスに置き換わってるかといわれると違いますが、都会のバスはかなりノンステップバスになっていますよね。

ということで、「過激」と言われたり「無理な話」と言われたりしても、行動したり発言することは必要だったということは嘘とは言えないでしょう。今の時代、昔と違い、日本赤軍のような団体は表面に表れていないので、「過激」とレッテルを貼られることで世の中に意見を聞いてもらえなくなる説もありますが…

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