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別の意味でのボランティア拒否宣言?

りこのnoteで紹介されていた『ボランティア拒否宣言』とは違う感じで、ボランティア拒否宣言と題名にできるようなnoteを書きたいと思います。
こんにちは、くつばこ+のうたです。襟付きの洋服にカーディガン以外の大学生っぽく見えるコーディネートってあるんですかね。こんな人がファッション論取るから、点数来なかったんでしょうね笑。

☆ボランティア拒否宣言

りこのnoteで紹介されていた詩の趣旨としては、ボランティアをされる側から見た話でした。今日は、ボランティアをする側から見た話として、ボランティア拒否宣言っぽい話をしてみたいと思います。もちろん、こういう考え方があるという話で、うた的にこの考えがあるかと言われると微妙です。なくはないですけど。

☆無償のボランティアは拒否

ボランティアっていうと、無償だと本当は限らないんですけど、ボランティアというと無償と思ってる人が多いです。で、今回拒否するのは、無償のボランティアです。ボランティアというと、「無償」というような考えが広まった理由は、有償のボランティアは仕事との区別がしにくいからですかね。(ちょっと調べても出てこなかったので、知ってる人はコメントください)

☆無償のボランティアは仕事にならない

そして、無償のボランティアは拒否という考えはどうして出てくるかというと、無償のボランティアをしてしまうと困ることが起きることがあります。それは、ボランティアが一般的になってしまうと、仕事に出来なくなるのです。まあ、当たり前ですよね、お金を払わなくてもやってくれる人がいるなら、わざわざお金出す必要がないですからね。これが、「福祉」と言われる世界だと割と起きてます。

☆品質が上がらない

無償でやってくれるのが一般化するなら、それはそれでいいじゃん、って思う人居ると思うんですけど、実は大きな問題になりかねないです。ボランティアが当たり前になった瞬間、それを仕事にする人が居なくなります。少なくとも、大変さに比べて給与がとても低くなります。実際に手話通訳士の給与って、英語とかの通訳士に比べてかなり安いです。これの原因は元々、手話通訳というとボランティアのような感じでやってたことだからという面があると思います。

☆もちろん、無償のボランティアが悪いとは言わない

もちろん、無償でボランティアをしている人を悪いとは言いません。なんなら、りこはやってますしね。逆に、ボランティアをやるくらいボランティアをしていることに対して、意識を向けているのはすごいことですよね。「障害」でも「貧困」でもどんなことでも。

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