リベレーター:アウェイクン3

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**6**
 

 隷層労働者は月に一度だけ一日休日があり、工場の敷地外へ出ることが許される。

 ルーラーに逃亡禁止の命令を受けているため遠くには行けないが、彼らが何よりも楽しみにしている日だ。
家族との面会、酒、まともな食事、風俗などを求め、わずかな貯えを手に町へと出かけていく。

 財音の繁華街、鎚軒《ツチノキ》通り。
ほぼ一年中酸性雨が降り続ける財音では、商店街のほとんどが耐酸性コーティングのアーケードに覆われている。

 朱梨はとなりの日陰を見上げた。
 

「日陰さん、どこへ……?」

「まあ、楽しみにしてろって」
 

 失意の底にあった彼は、ついさっきまで収容所めいた隷層労働者寮でふとんに包まっていた。

 ベッド脇の壁にはわずかな賃金と引き換えに購買で買った朱鷺子のポスター、ポストカード、雑誌の切り抜きなどが貼られている。
だが彼女の笑顔も胸の虚空を埋めてはくれなかった。

 そこに日陰がやってきて、半ば強引に連れ出したのだ。
 

「今日、ここで朱鷺子のライブがあるって古鉄週報で見てさ」
 

 購買で売っている欺瞞的PRだらけの社内誌だが、朱梨は朱鷺子のグラビアが載る号は必ず買っている。
 

「知ってますけど……チケットがあるんですか?」

「まさか。オレらの賃金で買えるわけないだろ」
 

 行く先の広場入り口には検問が作られ、警備員が立っているのが見える。

 日陰はその直前で路地に入り、廃墟化した商店のひとつに入った。
三階に上がり、物干し台からアーケードのキャットウォーク(梁状の狭い通路)に飛び移る。
 

「あの、勝手に入っちゃいけないんじゃ……」

「黙ってりゃ済む話だ」
 

 長いあいだ使われていないらしく、耐酸性コーティングが剥げた部分が溶けて穴が開いている。
日陰は実に器用に飛び移りながら、朱梨に手を貸して先導した。

「あ……」

 朱梨が足を滑らせかけたとき、日陰はたくましい腕で彼を抱き寄せた。
腰を抱かれ、すぐ間近に日陰の顔がある。

「気を付けろ。常に手でつかめる場所を把握しとけ」

「あっ……! はっ……はいっ……!」

 胸の鼓動が世界中に聞こえてしまうほど大きくなっているのを感じながら、朱梨は日陰のあとを追った。

 すぐに広場の上に出た。
特設ステージ前にはすでに多くの観客が集まり、開演を待ちわびている。
朱梨たちがいるキャットウォークの行き止まりは狭い上、雨漏りにさらされているが、ステージ全体がよく見える。

 朱梨は興奮しながら聞いた。
 

「どうやって見つけたんですか?」

「隷層落ちする前はアーケードの修理屋だったからな。
得意なんだよ、こういうの見つけるのが」

「ぼくのために……?」
 

 彼は笑い、視線を伏せて言った。
 

「手のこと。あのとき、助けられなかった」
 

 朱梨は呆気に取られた。
 

「何で日陰さんが……」

「何か思いつけばよかったんだがなあ」
 

 そのとき、朱梨は胸に湧き上がった暖かさにうろたえた。
誰にも大事にされたことがなかった彼にとって、それは未知の何かだった。

 日陰は朱梨の肩に手を置いた。
朱梨は顔が熱くなるのを感じた。
 

「お前のことはほんとの息子みたいに思ってるよ」
 

 観客のボルテージが一気に上がり、アナウンスが開演を知らせた。

 朱梨は胸を刺す痛みにこらえきれず、手で心臓のあたりをぎゅっと握った。

**7**
 

 翌朝の始業前。

 朱梨は工場の裏手に行き、鉄の箱から自作の衣装を取り出した。
それをじっと見つめていたが、その日は身に付けることなく戻した。
 

(親に恥をかかせたな)
 

 逮捕後、面会に来た朱梨の両親が開口一番投げつけた言葉だ。
 

(警察が来てお前の部屋を漁っていったぞ。
クローゼットに隠してあったあの女の服はなんだ!?
警官の奴ら、笑ってやがったぞ!)

(親戚に顔向けできないじゃない!
こんな変態が自分の子だったなんて……)
 

 朱梨はそれに何と答えたか覚えていない。
だが両親に受け入れられることは永遠にないと悟り、彼の一部は死んだ。

 鉄の箱に背を向け、裏手を出た。
 

**8**
 

 昼前に保安員長が叫んだ。
 

「手を止めずに聞け! ただ今より弦谷監督官が視察なさる!」
 

 弦谷は右の義眼で一同をじろりと見回すと、声を張り上げた。
 

「隷層労働者にルーラーより厳命するゥゥウ! 自殺禁止ィィイ!!」

「「「「自殺禁止!!」」」」

「貴様らは細胞の一片までも社の所有物であり、よって勝手に死ぬことは許さん。
死ぬなら過労死するまで働いて死ね!」

「「「「はい、監督官様!! 我々は社のため喜んで過労死します!」」」」
 

 震える手で作業を続ける隷層労働者たちをねめつけながら、弦谷が巡り歩く。

 運の悪いことに、一週間で一番疲れが溜まる日曜日の午前中だった。
朱梨がもう少しで半日休日だと自分を鼓舞していると、隣で大きな音がした。
 

 バキッ!!
 

 過労で青白い顔をした日陰が、口を半開きにして浄水器を見ている
部品がひび割れていた。
骨組みにきちんと設置されていない状態で釘を打ったらしい。

 保安員を引き連れた弦谷がこちらに歩いてくる。

 コンベアが朱梨の持ち場にその浄水器を運んでくる。
彼は緊急停止ボタンに手を伸ばしかけ、やめた。
代わりに手にしていた釘打ち銃を通路に投げ捨てる。
 

 ガチャッ。
 

 それは弦谷の目の前へと滑っていった。
保安員長が血相を変えて叫ぶ。
 

「これは誰のだ!?」

「はい」
 

 朱梨が通路に歩み出た。
 

「ぼくです」
 

 弦谷は赤い瞳で彼を威圧的に見下ろした。
 

「拾え」

「自分で拾えよ。手がないのか?」
 

 保安員も作業員も、みな唖然として朱梨を見た。
保安員長が叫んだ。
 

「余所見厳禁!」
 

 労働者たちはあわてて首を引っ込めた。

 弦谷の額に浮かび上がった縄のような太い血管が、小刻みに痙攣している
朱梨は落ち着き払って言った。
 

「お前は支配機なしじゃ何にもできない腰抜けのゴキブリ野郎だ」

「貴様、自分の口が何を言っているのかわかっているのか?」

「当たり前だ」
 

 弦谷は警棒で朱梨を殴った。
日陰がたまらず止めに入る。
 

「やめろ、そいつは……」
 

 保安員がスタン警棒で日陰に電撃を食らわせる。
朱梨は一瞬そちらを見たが、歯を食いしばって弦谷を睨み返した。
 

「もう一度言うぞ。それを拾え」
 

 弦谷の命令は支配機を通していない。
朱梨は血を吐き捨て、鼻で笑った。
 

「支配機なしで命令を聞かせてみろよ、腰抜けのゴキブリ野郎」

「ルーラーとして命令する! 釘打ち銃を拾え!!」
 

 朱梨はびくっと体を痙攣させると、服従機に強制されてそれを拾い上げた。
 

「貴様の自殺禁止命令を解除する!! 自分の頭を撃てェェエ!!!」
 

 朱梨は自らの額に釘打ち銃の銃口を押し付けた。
引き金を引く瞬間、勝ち誇って笑った――こんな笑顔を見せたのは、どのくらいぶりだろう。
 

「お前の負けだ、弦谷」
 

 バシュッ!!
 


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