どのキャンドルも命のようにみんな儚い

帝城出版のアオケンこと青柳健です。メディアに携わる者の一人として、ジュンさんのお話は、言葉に表せないくらい衝撃を受けました。私も混乱していて、うまく話せるか自信がありませんが、まずはジュンさん、あなたがこのように1時間に渡って、今のお話をされるにあたって、想像を絶する葛藤や苦悩、覚悟があったことと思います。そして、それを乗り越えて、命を懸けて、話をすることを選んだ。まずはそのことに敬意を表します。
私はまだうまく受け止めきれないのですが、罪のない子供を守るため、誹謗中傷はやめてほしい。匿名の人、記者、ワイドショー、メディア、みな同じだと。まだ子供だったころ、そんな大人になりたかったのか、一人一人が胸に手を当てて考えてほしいと。メディアに携わる一人として、喉元にナイフを突きつけられた思いがしました。
そして、ジュンさんの思いを私ごときが全て受け止めきれるかは別として、そのような思いをさせてしまったことに対して、メディアの端くれにいる一人として、謝罪します。申し訳ございませんでした。
もちろん、私の謝罪をこころよく思わないメディア関係者もいると思います。そして、残念ながら、私自身、ジュンさんの全ての主張にイエスと首肯くことはできないかもしれない。メディアや私たちの存在意義そのものに関わってくる話かもしれないからです。具体的な反論は今思いつきませんが、まずはお話を聞いて、感じたことを率直に話したいと思います。
ジュンさんは、一人暮らしをはじめて、多くのことを考える時間を持ったとおっしゃいました。もしかしたら自分は普通ではないのかもしれないと。そしてキャンドル・ジュンは長く東京の夜の街に住んでいたともおっしゃいました。
僭越ながらその感覚、私は少し分かります。私は1976年生まれの47歳です。九州の片田舎で生まれ、18歳のときに東京の大学に進学しました。今から29年前のことです。私もすぐに東京の夜の街の住人になりました。そのときジュンさんは二十歳ですから、どこかで出会ってるのかもしれませんね。
ですから、このお話が始まってすぐに、この物語に引き込まれていく感覚がありました。そして、この物語がどこに向かっているのかまったく分かりませんでした。途中、ダライ・ラマ音楽祭の話になり、広島・長崎が出てきて、アフガニスタン、グラウンド・ゼロから福島にたどり着きました。私は興味深く耳を傾けました。福島でのエピソードには心揺さぶられました。
そして無垢で罪のないお子さんの話に至って、話のトーンが一気に変わった気がしました。誤認かもしれませんが、私はそう感じました。私の受け取ったメッセージが正しいのかは分かりません。仮に正しいのだとしても、正しく伝わるかは分かりませんが、私の解釈、私が感じたことを率直に話します。
子どもたちの話にたどり着いたとき、これまでジュンさんが慎重に話されてこられたことに気づきました。言葉にすると陳腐ですが、人間には善と悪の両面あると。お話に登場する奥様の広末さん、広末さんのお母さん、そしてキャンドル・ジュンさん自身。それぞれ善と悪、いいところと悪いところ、その両方を話されました。公平に話されていたと思います。そしてジュンさんに、その人たちを断罪しようという意志はないことが分かりました。sioの鳥羽シェフの話は一切、出てこなかったですね。この物語に出番のないその理由はあとで分かりました。
子どもたちの話になったとき、物語が次のフェーズに入ったのを悟りました。善と悪の両面を慎重に語っていたこれまでのジュンさんとは打って変わって、子どもたちは絶対的な善として物語に登場しました。
ここから物語は一気にクライマックスを迎えます。一番上の子と自分は血のつながりがないことを、マスコミが先にそれを伝えてしまった。つまり、絶対的な善の対極として、物語には絶対的な悪が登場したのです。
メディアです。誹謗中傷です。ジュンさんのこの長い物語の核となるメッセージはこの1点だと思いました。私は取り乱しました。そして平和憲法の話になりました。ここに至って、福島の話の意味が分かりました。被害者と加害者、当事者と部外者のその分かりあえなさをジュンさんは語っていました。そしてそのことを誰よりもジュンさんは知っている。すべての話がつながって、私は少し泣きました。
私は胸に手を当てて、私のこれまでの人生を振り返ってみました。私は大学を出ても、まじめに就職する気などサラサラありませんでした。ただ、根拠のない自信だけはありました。バンドをやったり、絵を描いたりしました。でも、なんかちがうな、と思いました。その間ずっと、私は東京の夜の街の住人でした。夜の街でキャバクラのボーイをやったり、ここでは言えないヒドイこともやったりして、日銭を稼いでいました。私はろくでもない人間です。それでもどこか、自分は特別な人間だと思っていました。要は、よくあるタイプの人間でした。二十代のあるときから小説を書き始めました。私は書くのは嫌いではありませんでした。音楽や絵には、圧倒的な実力が必要なことを思い知りました。けれども、文章はそうではありません。いや、私が気づいていないだけで、文章にも圧倒的な実力が必要なのかもしれません。しかし、私が良い文章だと思えば、良い文章なのではないかと。私にとって、書くことは救いでした。私はずっと小説を書きながら、生活のため、三流サブカル雑誌のライターをやったりしました。悪趣味ブームにもちょっと手を出したりしました。私はヒドイ記事を何度も書きました。小山田ショックのときは肩身の狭い思いをしました。私はろくでもない人間です。
そんな私も、愛の謎が解けたのかは分かりませんが、やがて結婚をし、子どもが生まれました。
子育ての期間はまるで戦場にいるかのようでした。そして、私にはお金がありませんでした。そのとき、知人で高山さんという人がいて、ゴシップ誌の編集デスクのポストが空いたので、来ないかと言われました。お金のなかった私はすぐに飛びつきました。
要はゴシップ誌でした。夜討ち朝駆け、芸能人の一挙手一投足を追い駆ける日々。編集デスクと言っても、実際は一人でなんでもやりました。毎日張り込みもやりました。一週間、家に帰らないこともザラでした。
そんな中、妻の育児ノイローゼは限界に達っしつつありました。妻は四国の片田舎から女優を目指して上京して、夢やぶれた人間でした。つまり僕と同じタイプの人間でした。そして妻は広末さんと同い年です。同郷の広末さんを、なるはずだったはずの自分と重ね合わせているようでした。
妻は頻繁に、子どもを置いて、夜の街を出歩くようになりました。私は仕事をセーブせざるをえませんでした。今の出版社に1年契約のイチ記者として入りました。稼ぎは激減しました。でも、そうせざるをえませんでした。
最初のうち、子どもを置いて夜の街に遊びに行く妻を注意していました。しかし、そのうち注意することはなくなりました。その理由はジュンさんはお分かりでしょうから、あえて言いません。最後には、妻が家からいなくなると、ホッとするようになりました。そして、妻は子どもを連れていなくなりました。不倫していたか、していなかったか、それは重要ではありません。私たちの物語には関係ないからです。
ジュンさんは、胸に手を当てて、自分が子どもの頃、こんな大人になりたかったか考えろと言いました。私は夢やぶれ、家族を持ち、家族を失い、全てを失いました。いや、厳密に言うなら、全てを失い、養育費の支払い義務だけは残りました。
こんな大人になりたかったか。なりたくなかったですよ。そりゃそうでしょう。逆に聞きたい。子どものころなりたかった大人になれている人間ってこの世にいるのだろうかと。
もちろん、ジュンさんが言われることは分かります。許可なく、あることないこと書き立てることが許されるのか、そう自問自答したこともあります。けれども、一方で、全てを失った私には、養育費の支払い義務があります。これは子どもに対する親の責任です。どんな手段を使ってでも、稼いで送金しなきゃならない義務がある。これは言い訳に聞こえるかもしれませんが、例えば私の小説が村上春樹みたいにベストセラーになったら、悩む必要もありませんよ。けれども実際は出版さえできず、スタート地点にさえ立てていない。そんな私が唯一売れるのがゴシップ記事だけなのだとしたら?
罪悪感はありますよ、そりゃ。プライバシーを許可なく暴いて、あることないこと書いているのですから。そんな私が拠り所にするのはもう、弱者にはなんでも許されるという観念しかありませんでした。思い出されるのはキラキラした広末さんがテレビに映ったときの、対象的な元妻の虚無的な目です。虚ろな目、沈んだ瞳、カサカサの肌とボサボサの髪、「美容にいくらかけてんだよ」と毒づいていた彼女の姿が甦ります。私たちは圧倒的に弱者で、テレビでキラキラに輝く広末さんは圧倒的に強者でした。そして、弱者は強者に対して、何をしてもいいだろうと。
これは危険な考えです。この考えは安倍総理を銃撃した山上被告と重なります。しかし、私はその考えにすがるしかなかった。全国の、誹謗中傷をする人もこの考えに支配されているのだと思います。弱者は強者に何をしてもいいと。もう一度言います。罪悪感はありました。しかし、生きていくために、子どもに養育費を払うためにはこの方法しかなかった。この方法を奪われたら、私にはもう生きる術がありません。私は死ぬしかありません。私は命を絶つしかありません。これは脅迫と受け取っていただいてかまわないです。
日本は世界で唯一の被爆国で、平和憲法を持つ国です。その国で、誹謗中傷を苦にして、自ら命を絶つ人がいる。こんなことがあっていいのだろうかと。いがみ合うより助け合うのが日本文化ではないかと。私もまったく同意見です。
マスコミもまた、マスゴミと揶揄される存在です。言論の自由は一部において制限されるべきとさえ私個人としては思っています。「国民の知る権利」を傘に正当性を主張しようとは思いません。今後、法整備して厳罰化されるべき問題と考えますが、逆に言うなら、法整備されない限りは、個人の良心にそれを求めるのは酷なのではないでしょうか。少なくとも強者から弱者へのメッセージとしては、説得力に欠けます。SDGsや寛容性に言及するのなら、ゴシップ記事を書いて生計を立てざるをえない社会的弱者への配慮もあってしかるべきではないか。
ジュンさんは戦争について言及されました。戦争は究極の、正しさと正しさの戦いです。そして私は私の誠実さに基づいて生きてきた。ジュンさんもまたそうでしょう。その結果、私かジュンさんのいずれかが死ななければならない。誠実と誠実もまた、戦争と同じように、対立して片一方が死ななければならない現実もありうるということだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?