地方の衰退1(Declining Local Society 1)
日本に元気がなくなってきた原因の一つに人口の減少があります。2011年から13年連続で人口が減少しているのは、1970年代から出生数が減少し続けていることが影響しています。子供の数が増えないのは、社会が子供を育てるという環境の整備が十分にされてこなかったからです。
10年以上地方創生政策が続いていますが、東京と沖縄以外で人口の減少は止まっていません。全体の人口が減少している以上に、地方の人口は減少しています。
地方の人口が減少して衰退するのは、道路などのハードインフラが十分に整備されていないことと、ソフトインフラが限られているので、魅力的で文化的な生活が期待できないことが大きな理由です。
地方には東京と肩を並べられるような文化施設やスポーツ施設と食事のできる場所は十分にありません。地方にも保育園、幼稚園、小中高等学校、高齢者用の福祉施設、病院などはありますが、住民が文化的な生活を享受できるソフトインフラは充実しているとはいえないのです。
地方の課題は、遅れているハードインフラの整備を進めることはもちろんですが、生活の文化というソフトインフラが先進国並みに整備されていないことです。
かつては駅前やバス停前に万屋(よろずや)があって集落の生活を支えていました。集落の人口が減り、後継者がいなくなったので万屋はなくなりました。人口の減少と共に公共交通サービスが減り、移動が不便になって衰退に拍車をかけています。
移動手段の確保には、買い物や病院へ行けるように集落を回る公共交通の再検討が必要です。既存の路線やバスやタクシーをすみわける規制があるかもしれませんが、各地域で運航されている鉄道やバスサービスの再検討は解決手段の一つです。
ほとんどの地域で待機児童の数は減りましたが、安全の確保が話題になっています。中学や高校の生徒は、いまも土の運動場でサッカーやラグビーの練習をしています。公園の草取りは町内会の仕事ですが、高齢者には負担になっています。住民はショッピングセンター以外に息抜きの場がありません。
いまは一人ひとりが自ら進む方向を決めて歩いて行ける時代になりましたが、地方はハードもソフトもインフラの整備は十分ではないのです。いま地方の住民が享受している生活文化は十分ではありません。
コロナ禍の経験を踏まえて、国が地方へ向かって指示するときの法的裏付けを整備しておく必要があるということで、国の地方に対する指示権を明確にするという法案が国会で可決されました。
国と地方は憲法の第8章(第92条~第95条)に基づいて対等の立場であるということが定められていますから、封建時代の「御恩と奉公」という主従関係はいまの国と地方にはありません。
国は地方に地方交付金を分配しますが、国の分配は「御恩」ではありませんので地方が「奉公」を求められることはありません。徳川幕府が譜代と外様の大名を分けて管理してきたように、国の責任者が指示権を意図的に使用することはできないのです。地方交付金の分配には説明責任がありますから、分配は基準に基づいて行ってさじ加減することは許されないのです。
地方住民の生活文化を豊かにするためには、子供たちには保育所や幼稚園や学校や安全に過ごせる居場所が必要です。現役世代にとっては、勤務時間以外を過ごす場所が重要です。高齢者には毎日の買い物や病院通いの手段が必要です。住民にとっては、整備された公園が欠かせません。
地方で豊かな文化的な生活が送れるとしたら、人口が減少する中でも内外から人は集まります。地方に仕事があって生活が営める文化があれば、若者が地方を離れて都会へ向かう必要はありません。
地方の住民がより文化的な生活を享受できる環境つくりを考慮して、地方交付金を効果的に配分する勇気が必要です。地方の衰退を食い止めるためには、予算の使い方を再検証する必要があります。地方の衰退を止めることは喫緊の課題ですから、先進国にとどまるためにも「力」による予算の恣意的な配分は再考するときです。
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