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訪れた国

Episode 24– Malaysia 1
 
 マレーシアの記憶は断片的にしかありません。クアランプールへ行ったのは今の国際空港が開港(1998年)する前です。覚えているのは整然とした街並みがよく清掃されていたことです。街中にはモスクがあり、インドの寺院や中国の寺院がありました。下町というか繁華街へは行かなかったので、ごちゃごちゃした街の記憶はありません。
まだ、新しい空港やペトロナスタワー(1998年完成、452m)の建設が始まっていない頃で、街にはゆったりとした感じがありました。その後マハティール首相の提唱する“Look East”政策もあってマレーシアは高度成長期に入っていきました。
マレーシアは多民族の国家です。マレー人が最も多いのですが中国人やインド人、アラブ人などはそれぞれのアイデンテティを守って生活しています。しかし、16世紀にポルトガル人が基地としたマラッカ(Melaka)にはポルトガル系の人が住んでいるのです。ポルトガル人はマカオと同様に現地に溶け込んでいたのでしょう。
 クアラルンプール(KL)の他にもあちこち訪れました。郊外のゲンチンハイランドにはカジノがありました。カジノへはTシャツでは入れませんので、入り口でマレーシアの襟付き衣装やネクタイを貸してくれました。しかし、マカオのカジノのような熱狂はありませんでした。
ジョホールバルはシンガポールから国境の橋を渡ると簡単に行けます。毎日国境を越えて通勤する人もいるそうです。マレーシアは13の首長国の集まりで、国王は各小王国が交代で務めています。ジョホールバルも首長国の一つでスルタン(王様)が住む広い庭の宮殿がありました。
東マレーシア(サラワク)のクチンから川を下って、海に面したジャングルに隔離されたリゾートへ行きました。アクセスは道路がないので舟だけです。周りはジャングルでホテルの敷地から出て行くことはできません。広いホテルの敷地を歩き回るか、ホテルのプールで泳ぐか、それとも海でウィンドサーフィンをするかです。夜が更けるとバーで飲んで、密集で熱気ムンムンのディスコで踊るばかりです。
数日滞在しましたが、観光などは全くありません。ゴルフ場もありません。毎日、木陰のあずまやで読書しながら昼寝して過ごしました。毎日同じあずまやにいると、毎日同じ時間に歩き回る人がいて、声をかけてきます。「何を読んでいるの?」と。
こうした暮らしを続けていると、都会であくせく働いている自分が小さく見えてきます。自然の中ならもっと自分に忠実に生きられそうな気がしてきます。人里離れてゆっくり進む時間で過ごすと、街へはもう帰りたくないと思うようになるのでした。
ホテルにはいろいろな国から来た人が泊まっていました。シンガポールから来た人、KLのあるマレーシア半島からの人などです。アジア人も西洋人もみんな休暇を楽しんでいました。彼らはこの何もないリゾートホテルに少なくとも1週間以上滞在しているようでした。長期滞在の方もいました。
インドネシアで石油事業に携わっている方は休暇で滞在していました。3か月働くと2週間の休暇が取れるそうです。彼は毎日ホテルの周りを歩いて、プールで泳いで昼寝して、夕方になるとバーへ行き夜が更けるとディスコで踊っていました。
毎日同じところで同じことをして飽きないのだろうか。なぜ長期休暇が取れるのだろうか。1年働いても休暇は短く、出かけると疲れて帰ってくるのが当たり前の身としては、彼我の違いは何だろうか、と思わずにはいられませんでした。
当時の日本は日本株式会社と言われて、Made in Japanが飛ぶ鳥を落とす勢いで世界を圧巻していました。しかし、最近の凋落ぶりはいかがでしょう。今の3周遅れは、なぜ日本では長期休暇が取れないのだろう、と感じていた当時の疑問に原因が隠れているような感じがする今日この頃です。

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