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訪れた国

Episode 12 – Singapore 1
 
 シンガポールの街はきれいです。「シンガポールはどう?」と聞かれるとIt’s fine, fine and fine.と答えます。‘すばらしい’と‘罰金’を掛けた英語表現です。
シンガポールは英語(ジャパニーズイングリッシュ)が香港よりもよく通じます。公用語は4つあり、街中では英語(シングリッシュ)と中国語(マンダリン、普通語、広東語など)、マレー語やタミール語などが話されています。いろいろな人がいて国際色豊かですが、宗教がそれぞれ違うのでルーツの違う人たちは同じ仲間同士が集まって暮らしており住み分けしているという印象を受けました。
 9月も末の頃に香港からシンガポールへ移りました。時差はありませんし季節も似たようなものなので服装も同じ格好でよく全く違和感はありませんでした。通勤時に街角で見る濃い緑の葉の街路樹が白い花をつけていました。夜空に南十字星を見つけたときは「南国に来た!」感が溢れました。
転勤してから忙しくて休みなく仕事をしていたので、はっと気が付いたときには街にジングルベルが流れていました。街角の木は相変わらず緑で同じ白い花が咲いているのです。毎日半そでシャツで過ごせるのでシンガポールに季節がないことを実感した時でした。夜明けと日没も年中変わりなく、朝は7時ころ明るくなって夜は7時ころ暗くなります。シンガポールは赤道の北100kmばかりに位置しており、ほぼ赤道の真下なので昼間と夜間の長さが年中12時間ずつです。
 ニューヨークから転勤で来た人とロンドンから移ってきた人と香港から転勤してきた3人がおしゃべりしたことがあります。シンガポールの人口が今の半分くらいの頃(今は570万人くらい)の話です。3人共通の話題は「シンガポールの街はきれいだしインフラが整っているし、地震はないし年中暖かくて服装に気を使わないで済むから生活が楽で住むにはいいですね」と話し合ってから「でも、ニューヨークやロンドン、香港のワクワク感と活気がないね」と全員同じ感想でした。
 確かに中心部のオーチャードロードやスコッツロードは緑豊かで近代的なビルがゆったりと並んでいます。デパートやショッピングセンター、ホテルやレストランなどがたくさんあります。どれも一流の店でいろいろな人が行きかっており国際色豊かな街でした。ただ、人が少ないので夜になるとさみしく感じたのです。文化的にも一流アーティストのコンサートや演劇、展覧会などは少なく感じられました。タクシーも少なくて捕まえるのが大変でした(その後増えました)。
 シンガポールは若い国でしたから、国民の一人ひとりが国つくりに励む姿には目を見張るものがありました。仕事は責任を持って終わるまで取り組むことはどこでも当たり前ですが、シンガポールでは退社時間が来ると秘書が「この書類は明日の朝までに作成しておきますからどうぞ先に帰ってください」と言って、一人残って仕事を続けるのには驚きました。香港で勤務時間が過ぎて事務所に残っているのは日本人と英語人だけでしたから。
 また、仕事仲間が軍隊の階級を持っていることにも驚きました。兵役を終えた後の一般市民はそれぞれの職場に軍務時の階級をもって復帰します。ときどき軍から呼び出しがあり、招集対象者の番号がラジオやテレビ番組、上映中の映画館などで流れるそうです。自分の番号が表示された時には、決められた時間内に所属部隊へ出頭すると聞きました。ちなみに仕事仲間の階級は大佐でした。
 驚いたと言えば、運転免許証の取り扱いがあります。会社の人に香港の免許証を運輸局かどこかの窓口に持って行ってもらって、シンガポールの免許証を交付してもらいました。本人が運転免許証の手続きに出て行く必要は全くありませんでした。その後、期限が来ると郵便局で免許証の更新ができたのです。
 ある時、新しく五つ星のホテルがニュートンサーカスの近くにオープンしました。そのホテルがとった広告戦術は1週間全従業員をタクシーで出勤させて、タクシーの運転手に行き先を告げるときホテル名を言わせたのです。当時のシンガポールに何台のタクシーが走っていたか知りませんが、従業員全員が毎日タクシーで新しいホテルへ1週間通勤したのです。シンガポール中のタクシーが新しいホテルの名前と場所を覚えたことは違いありません。
香港が完全に中国の一部となった今では、シンガポールの存在は決して小さくありません。多くの外国企業が拠点を構えてアジアを代表する金融センターの一つになっています。シンガポール在住の外国籍の人口は約4割にもなります。2021年の一人当たり名目国内総生産(GDP)は5位(日本は28位、)、2020年の一人当たり国民総所得(GNI)は16位(日本は28位)です。勤労者世帯の平均所帯月収は東京の平均を大きく上回っていると言われています。
 シンガポールは1965年の建国以来約50年で多くの分野で世界有数の国になりました。理由はいろいろあると思いますが、教わる点もあるのではないでしょうか。

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