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どうする、ニッポン

3.3.2 ジェンダーギャップ

世界経済フォーラムによると2022年の日本のジェンダーギャップは146か国中の116位です。特に、政治部門の139位と経済部門の121位はとても先進国とは言えない状況にあります。教育部門は1位で、教育を受ける面での男女格差はないようです。日本社会における女性の活躍が男性に比べて未だに低い状況にあるのは、長らく続いた侍社会、特に江戸時代の家制度による「タテ社会」にあります。家制度の下では男女の作業分担は明確に決められていました。日本の近代化は明治時代に進みましたが、男女の役割分担は私たちのDNAに刻み込まれている習慣を踏襲しました。男女平等がうたわれても、男女格差を解消するのは簡単ではありません。日本社会の運営に参加する人の性別割合は、明治時代から大きく変わっていません。多くの日本の組織では未だに会議になると、男性のみが決定権を行使しているように見えます。江戸時代に行政や司法の組織運営が世襲の武士身分の者(男性)だけに許されていたころとほとんど変わっていません。

男女の作業分担は人類誕生以来続いています。人間社会における男女間格差の歴史は古く、男女の作業分担と共に始まったと考えられています。したがって、改善努力を続けてきた先進諸国といえども、未だに完全に男女間の格差をなくしているとは言い難い状況です。まして、近代化から200年もたたない日本においておやです。

日本で女性が、政治や経済界や学界で男性と対等に社会へ進出できなかった理由が三つあります。第一の理由は伝統的な「タテ社会」の文化にあります。数百年にわたる武士の時代に定着した家の制度によるところが大きいといえます。家の制度は、社会生活における男性と女性の役割分担を明確に分けています。明治政府によって家制度は明文化され、社会の基本単位として固定化されました。家の制度が無くなったのは戦後です。約80年経過したとはいえ、人でいえば3代が入れ替わったくらいですから、孫の世代は古い制度の影響を受けているといえます。

二番目の理由は徳川幕府が定めた士農工商の身分制度にあります。制度上の人口比率は農民が85%、工と商のいわゆる町人が5%、その他3%で侍は7%を占めていました。人口の1割にも満たない男性武士層が日本を治めていたのです。しかし、「タテ社会」の背骨と言われる「武士道」の精神はあまねく影響していましたから、それぞれの身分内において固定された男女の役割分担が伝統文化となりました。

三番目は江戸時代の鎖国です。明治政府は“一流国”の仲間入りを目指して、西洋の新しい機械を導入しました。「モノつくり」の近代化を図り、法律を整備して社会の運営システムの近代的制度を作りました。「モノつくり」産業は新しい機械を輸入して指導者を招へいしました。国の運営面では、欧米諸国の統治手法の調査に出かけました。明治政府は「モノつくり」のハードと「コトの営み」のソフトの両方のインフラ整備を進めようとしたのです。結果として、日本のハードのインフラ整備は進み、多くのモノが国産化されました。政府が進めたソフトのインフラ整備では、憲法の制定や議会の開設などの法整備がなされて、先進国と同様の組織を作って行われました。しかし、実際の運営は幕藩時代に完成された男性中心の“力”に頼る手法が適用されました。

「タテ社会」では、組織を代表する立場にある人は、弱いもの(開発途上国や女性、マイナー)にめっぽう強く、強いもの(先進国、メジャー)にはめっぽう弱くこびへつらう態度が習慣となっています。組織内の人には責任ある立場の人を忖度せざるを得ない空気が社会に流れていることは明らかです。未だに無くならないパワハラやセクハラは、私たちの社会が幕藩時代から続く陋習にとらわれているように見えます。伝統ある「タテ社会」に刷り込まれた「武士道」のDNAと戦後の民主主義を、私たちは誤解しているのではないでしょうか。

私たちの社会で“みんな違いがあって平等”という概念への理解が進まない限りは、空気を変えることは困難です。長年守り続けてきた伝統には意味がありますが、長らく続けてきた伝統だからといって“すべて良し”とするものではありません。享受してきた既得権を手放すことには痛みを伴うこともありますが、時代の流れと共に一部の伝統は、社会に影響を与え運営を片寄ったものにして“後れ”を生じさせています。よどんだ空気を変えて新しい雰囲気を作らなければ、現在の“後れ”は取り戻せません。この流れを変えるのは、下からではなく上からしか考えられません。

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