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振り返れば、花

短い時間で見れば悲劇、長い人生で見れば喜劇。

昨日、講談ワークショップを受けて得た言葉です。
人生の誰にも話したくないような失敗談も、自分を物語る型にはめ、喜劇にして楽しむ一つの型、講談。

講談とはなんぞや?という状態で向かったわたしですが、いやだった最悪な失敗、飼い猫の脱走談を題材にして、結局思い切り講談できたあの時間はすっごく爽快な気持ちになったあの感覚は癖になりそうです。

思い切り講談で猫の話をできたことで、noteにもかけるかも、と思ったのが昨日の投稿でした。

講談はエンターテインメントですし、口を動かして人を惹きつける芸。それをしたことのない私でしたから、吐いた言葉でウケを取れたときはすごく嬉しかったです。(何より温かい人たちだったからってのはありますが。笑)

今まで使ったことのなかった講談という型を知った上で、私はnoteに投稿するとはどういうことかを考えました。

あくまで私にとってですが、ここは気づきを書く場所だなって思ったんです。

あんな言葉に感動した。
こんなことを選択したい。
あんな思いはもう嫌だ。
こんなことが幸せなんだ。

それを書き続けることによって、個人の文体が生まれてくることも知りました。

過去のnoteを読み返していると、何度も同じようなことにぶつかり、悩んで、しばらくすると気分も晴れて。なんだか同じところを何度も徘徊しているような感覚がして、正直な想いを長々と書きたくないなって思っていたんです。『価値がない』と言いますか…。

でも、その『価値のない』と思っていた『正直な人生』は、それぞれの文体に繋がっているのかもしれない。一つの希望を見つけました。

この視点から、勝手に放った気づきは
今はくだらない、と心が叫んでも、
いつか、いつかは、変え難い花になるかもしれない。

心は言います。
恥ずかしいことはやめておけ。
同時に心は思います。
書きたい。

小さな私の気づきは、何年前の言葉でも、時に私を励ましてくれました。
過去の小さな決断は、やめる勇気も、始める勇気も、たくさん与えてくれました。

あの日はちゃんと咲いています。
だから今日もいつか咲く。

『振り返れば、花』

私を語るって、記録を残すって、そういうことなんだ。

講談の型を知れたからこそ、書くことについて考えられた、贅沢な時間でした。

サポートしてくれたら、ラーメン食べるつもりです。時々食べるラーメン、おいしいよね。