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まあいいや

22時に帰宅。洗濯機を回して、昨日作ったトマトスパゲッティをチンして食べる。熱い湯船に浸かりながら今日初めての読書をする。Helsinki Lambda Clubの新譜を風呂場で流しつつ、梨木香歩のエッセイ集『やがて満ちてくる光の』を汗だくになるまで読んだ。他愛のない話だけど、生きることの喜びが詰まっているような、素敵な文章だったのでとてもどきどきした。

それから日記を数行書いて夜のニュースをチェックしたらもう23時。明日は朝から会議の取材があって夜ふかしはできない。パタンと日記を閉じる音が1LDKのがらんとした部屋に響いて、つい寂しくなってしまう。

物書きの仕事をしていたとしても、自分の好きな本を読んだり、好きな言葉を綴る時間をつくるのは至難の業だ。新刊書を買えば金はかかるし、部屋だって散らかる。なんで読書なんて習慣にしてしまったんだろうと思う時もある。

それでも。一日わずか数十分だったとしても、日々の隙間で縋るように文章を読むこと、稚拙な文体でも文章を書くことは大切な時間だと思う。立派な学術書なんかじゃなくていいし、生活の役になんて立たなくていい。エモい日記なんか書く必要はない。知らない誰かが書く他愛のない文章を読む時間が、自惚れたまま小っ恥ずかしいポエムを書き殴る時間が、今の自分を作り出してきたことを僕は知っている。それだけで十分だ。

自分の味方はやっぱり自分じゃなきゃ、自分を救う言葉はやっぱり自分で編み出さなきゃって思うよ。そういう自分でありたいし、そういう文章を書ける誰かのことを僕は肯定したい。てか社会人やりながら文章書いたりできる自分のこと、褒めてやってもいいなーって思えてきた。

今年の夏はいっぱい文章書いてもっともっと恥ずかしくなりたいな。この文章も明日の朝読んだら死にたくなるんだろうけど、まあいいや。もうすぐ日付も変わる。ではまた。

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