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「豊か」という不思議な表現

普段、「豊か」って会話ではほぼ使わないですよね。
少なくとも私は、使った記憶がないです。

しかしながら、文章にすると、いっぱい出てきます。
才能が豊か、経験が豊か、表情が豊か、豊かな社会。

何故なんでしょうかね

たぶん、「豊か」って、改めて認識しに行かないと、わからないもののような気がして、あえて気に掛けないと得られないというか、わからないもののような気がします。

それは、ある事象や物事が過ぎた後に、「あれを豊かと言うんだろうか」「豊かな時間とはあれのことだったんだ」のように、その時は分からないんだけど、過ぎた後に気が付くもので、逆説的かもですが、「退屈だった」も、実は、当てはまるような気もします。

要するに、改めて認識しに行くものの、基準はあってないようなもので、言葉はあるけど基準はなくって、その基準は人それぞれ。

何かの目標を作るとき、そこに「豊か」って出てはこないですよね、思っていても。それは、具体的じゃないからだと思います。理念やビジョンなんかにはいっぱい出てくるんだけれども、目標設定にはちょっとキツイ。

人ぞれぞれ必ず持っている基準があろうはずなんだけれど、具体的にはならないし、基準の置きようもないし、いちいち変わる気もする。

私は、「落ち着いているとき」そのときが、「豊か」なんだと思ってます。感情が動いている時でもなく、物質的なものがある時でもない。

怒りもなく、不安もなく、悲しくもなく、寂しくもなく、強いて言うと、喜びはそれに当たるのかなぁと思ったはものの、これも、喜んだ後に、感じるものだと思うと、少し外れるかと。

乾いた喉に水を含んだ時、美味しいものを食べた時、これもちょっと外れる。

やはり、精神的、物質的な満足を得たあとの、落ち着いているときが、「豊か」なのかなぁと思います。

最近知った言葉があります

「吾唯足知(われただたるをしる)」

京都の龍安寺にある石造りの皺器つくばいに彫ってある言葉です。
皺器つくばい:茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢)
http://www.ryoanji.jp/smph/guide/grounds.html

『知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し』(龍安寺のホームページから引用)

これ、豊かの基準を言い表している・言い当てていると感服致しました。

落ち着きを保って、足るを知ること。
これが、「豊か」なんですかね。

私の勝手な気持ちです。ご了承を。


音楽の場合、「豊かな心を育む音楽」と言う表現がありますよね。
では、お時間あれば、お聞きください。
聴いたあと、落ち着きを保って、豊かになってますよぉ、きっと。
桃山イチで「心づくようす」


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各サブスク(Youtube Music、Spotify、Amazon、Appleなど)からも聴けます

音楽の時間を味わって下さい
いい時間を過ごして下さい
少しでも、豊かな気持ちになってくれたなら、感謝です
聴き終わった時、きっと、いい表情になってますよぉ
みなさまの心に何かが残ること期待しておま

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Youtubeチャンネル登録も、どうぞよろしくお願いします
https://www.youtube.com/@momoyama1
最後まで読んで頂きありがとうございました
心のありようを大切に


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