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人は必要なときに必要な人と出会う

私は裸眼の視力が両方0.3と私生活に支障はないですが、暗くなると物とか人が見えなくなります
今日塾に行く途中、自転車の明かりもなく、人の気配もせず、車だけが走っている道だったので
チャリを走らせながら、AAAのバチバチラブソングをまぁまぁな声量で歌っていたら、木が沢山生えているところに警察が2人たっていました。
夜かつ、木々の中かつ、黒っぽい服装です。
そりゃ見えませんよ。
AAAの「恋音と雨空」は、
ポルノグラフティの「サウダージ」になっていました。くすです。

前回に続き、僕が大切にしている言葉をご紹介します。(なるべく短く!)

皆さん、学校で授業を行うとき、授業を受ける環境には、生徒からすれば先生がいて、先生からすれば生徒がいます。
野球をするときは、自分から見れば、チームメイトがいて、相手がいて、監督・コーチがいて、審判がいます。

こうした、これをするには当然これがいるよねという、当たり前の存在についての話です。

変なことを聞きますが、自分が何かするとき、
例えば、北海道に住んでいて「今日、友達とご飯食べたい!」ってとき。
わざわざ、そのために沖縄から友達呼ばないですよねw(もしかしたら、いるかもしれない)

目の前に、数学の先生がいます。この問題が分かりません。わざわざ、ほかの先生のところにいってこれ教えてくださいって言わないですよね。
(人によっては、あるかw)

このように、何か問題であったり、ことが起きたとき、解決してくれたり、その物事を成立させてくれるのってその場にいる人ですよね。

高校野球だって、審判が来れなくなっちゃったってなったら、選手が変わりに審判をやります。

何事もやりたいことを成立させるとき、成立させるために必要な人はすでにそこに揃っているんです。もしくは、時を待てば来るんです。

ようは、

人は必要なときに、必要な人と出会っているんですよ。

これって、なんか当たりまえのようで不思議じゃないですか。

よくある、「なんだよ〜、知ってんなら早く言ってよ〜」を、深く考えたみたいなことです。

これを、考えると自分一人じゃないって気持ちに僕はなるんですよ。
何かしたい、でもやったことない。でも周りにはみんながいる、よし、やってみよう!
ってなります。

いつだって、手を差し伸べてくれるのは、自分ではなく周りの人です。どんな事でも、みんなといれば解決できます。大人を頼るのも、必要な人だと思えば、当然のことなんですよね。

身の回りの当たり前について、深く考えるのも面白いですね。

以上。


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