人は「承認欲求」を捨てられるのか?
承認欲求と言えば、アドラー心理学の『嫌われる勇気』を思い出します。
ビジネス本や自己啓発本は月1冊くらいしか読まないのですが、
割と心に残っている本。
今思い出して少し読み返していたのですが、
この本、タイトルが少しアンマッチだと思っています。
「褒められない勇気」の方がいい気がする。
まあそれはどうでもいいとして。
仕事やキャリアで悩むことが多くどうしようかと思うときに、
この本のなかの
「すべての悩みは人間関係からくる」
という言葉を思い出します。
今私が悩んでいることは自分の将来のことのつもりですが、
これもきっと回り回って自分の承認欲求と人間関係からきているのですね。
一見そうは思えませんが、頭の良い方たちがそう結論づけたのであればきっとそうなんでしょう。
ではそれら日々の悩みを断とうとしたとき、
承認欲求を捨てるべきなのか?捨てられるのか?
という話です。
①努力をして、本気で捨てる。
②本当は捨てられていないが、「捨てている」と言い切るor思い込む。
③捨てられない、諦める。
の選択肢のどれかの選択を取るはず。
みなさんどれに当てはまりますか?
MECEできている自信はありませんが、
私は③に近いかもしれません。
「承認欲求を捨てよ!」というのは
理屈ではわかるし、すごく共感するし、確かに承認欲求がなかったら楽だろうなと思います。
ただ、私は心から捨てることはできないと思っています。
仮にできたとして、心のどこかに蓋をしたり、嘘をついてしまう気がする。
やっぱり社内では、自分の存在や価値を認めてもらいたいと思うし、
人と生きているし人と話すのとか仲良くなるのが好きだから。
シンプルに嬉しいという感情がここにある。
こういうのを承認欲求と呼ぶのであれば、
私はかなり承認欲求を持っているし、承認欲求を捨てるのは難しい気がします。
そして、もう1つ。
「承認欲求を捨てれば、悩みが消えるのか?」という話。
なくなるのかなぁ。
他者からの見え方を気にすることと承認欲求を満たすは、似ているようで大きく違う気がします。
他者からの見え方は気にせず動き結果的に他者に喜んでもらう、という順番の話かな?
私自身、他者からの見え方はあまり気にしていない自信はありますが、
人の役に立てたらそりゃ〜嬉しい。
でも承認欲求がなくなることで、自発的なモチベーションに集中できるのでは?
という考えはなんとなくわからなくはない。
本当にやりたいことはなんなのかと考えられる状態になれるし、そこからストイックな自分になれる気もする。
でもでも、「嬉しい!」の感情スイッチが1つ減るだけな気もします。
このへんは本の中で専門知識的にも明確に違うと書いてあった気がします。
能動か自発かみたいな…。
「承認欲求」という人間の感情の動きは、
きっと科学的にも哲学的にももっと深められるのだと思います。
私の解釈が足りていないことも多いだろうし、
社会的にも言葉だけで表面解釈されている場面が多くあると感じます。
これだけ言っておいてなんですが私の場合はあまり頭でっかちに考えすぎず、
(これ承認欲求かな〜)くらい、ちょうどよく考えたいです。
今もアドラー心理学とその反対を行ったり来たりしていますが、
結局解決できるのは自分のオリジナルの思考と行動だけだと思うのです。
真似しすぎても仕方ない。
何にしてもそうですが0か100かで考えず…。
きっと自分だけのいいバランスが見つけたいと思います。
一番いいのは周囲の他人からも認めてもらい、自分も自分自身に満足し、悩みがないことですよね。笑
そのためには30:70?50:50?みたいなバランスが必要かも。
みなさんも今思いつく悩みに、
「承認欲求が絡んでいるか?」
「人間関係、他人からの見え方を気にしていないか?」
「その承認欲求を捨てることで解決しそうか」
という思考をしてみてはいかがでしょうか。
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