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【第三夜】空想コロッケ屋

海岸線の道から村の中心部へ向かうゆるい坂道を上る。
夕焼けを見た帰りに土産物屋をのぞいていたら、あっという間に暗くなってしまった。
夕飯どきだからか誰ともすれ違わない。
家々の窓からは団欒の雰囲気と様々なおかずのにおいが伝わってきて、ふと空腹だったことに気づく。

坂道を上りきると道が二手に分かれている。
左の道は住宅地エリアに、右の道は農地エリアに続いているようだ。
その右の方、街灯4本分ぐらい先の暗い夜道に、何やらオレンジ色の光を放つたてものがうっすら見えている。
誘蛾灯に吸い寄せられる昆虫のように、その光の方へふらっと足が向いてしまう。

夜道の静寂をあざやかに切り裂く油の音。
胃袋を一度つかんだらはなさない、懐かしさすらこみ上げてくるあたたかなにおい。
ガラスケースの中にずらっと並んだ黄金色の楕円形。

ここは島のコロッケ屋。


店の間口はそれほど広くない。奥に広い造りになっている。
店先に電球が等間隔に3つ、薄いブリキ製の緑色のランプシェードと一緒に吊り下げられている。
オレンジ色の光に照らされるガラスケースは、外側からも内側からも完璧にみがきあげられている。

ケースの上段はシンプルなじゃがいものコロッケ一色。
銀色のトレーに油落とし用の網が敷かれ、大人なら一回で2個食べるとちょうど良さそうな大きさのコロッケが整然と並べられている。
中段は味変系コロッケ。
カレー、かぼちゃ、キムチ、明太子、チーズ、ガーリック、トマト、バジル、しらすなど、豊富なラインナップ。
下段にはクリーム系と変わり種系がずらり。
かにクリーム、えびクリーム、コーンクリーム、半熟玉子、バター、肉じゃが、ポテトサラダ、焼き芋、スイートポテトなどなど、味が予想できないものもちらほら。
それぞれのコロッケで大きさや形は微妙に異なっており、よく見るとパン粉の細かさにも違いがあるようだ。
ちなみに、メンチカツやアジフライなどのコロッケでない揚げ物は置いていない。

ケース越しに見えている奥の調理スペースは、白色の漆喰塗装の壁に淡い黄緑色のタイル地の床。清潔感に満ちている。
照明は店先とは違って白色、天井に埋め込まれているタイプ。
天上の左の隅にはBOSEの大きめの黒いスピーカーが取りつけられ、AMラジオがひかえめな音量で流れている。
シンクや調理台、換気扇などは銀色。
左側の壁沿いは流し台とサブの調理台、コンロが一体になったキッチンスペース。奥の壁沿いにはフライヤー。右の壁沿いにはストッカーと、かごに山積みの芋類。
そして中央にはメインの調理台が堂々と設置されている。
整然としたこの調理場から、あの手仕事感あふれるコロッケたちが生み出される・・・そのことに、やけにきゅんとしてしまう。


聴覚と嗅覚と視覚に呼び起こされた食欲は厄介だ。
夜の入り口のこの時間帯、きっと島で一番輝いているのはこの店だと思う。
夜道でゆらゆら手招きしているこの店の前では、誰もがそれぞれの食欲に正直になって目を輝かせる。
知らず知らずのうちに、心まで満たされてゆく。


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