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【第六夜】空想たいやき屋

陽があっという間に落ちてしまって、さっきまで赤く燃えていた山並みは影絵になった。
冬は夕焼けがあまり残らない。
夕焼けのオレンジ色を引き継いだように、海岸線の街灯の色が濃くなる。
今日はめずらしく風がない夜になるらしく、だから海の反対側からただよってくる甘いにおいに気づいた。

民宿エリアにつながる路地から、「祭りの屋台のにおい」としか形容できないあのにおいがする。
つられて路地に入る。
街灯が続く一本道、その一番手前に砂利敷きの駐車場があり、キッチンカーが1台停まっている。
色はネイビー、ずんぐりむっくりしたフォルムがかわいい。
車の後方にのぼりが立ててある。
白い麻の布に、魚拓感ただようイラストが縦に等間隔に3匹。黒で染め抜かれている。
甘いにおい。屋台。魚型の食べ物。

ここは島のたいやき屋。


車に近づく。
荷台部分の左側面がぱかっと上下に開いていて、上側にはのれんが取りつけられている。のぼりと同じく白い麻素材、こちらは無地。
下側はそのままテーブルのように張り出している。
オリジナルグッズが販売されている。てぬぐい、箸置き、便箋セット、銀色の栓抜き。
そして開口部から見えるは堂々と黒くつやめく鉄板。
下に木の持ち手がついていて鉄板ごとぱたぱたひっくり返せるたいやき用のやつ。
縦に5匹分の型が横に6面、一度に30匹焼けるようになっている。

向かって左側におもちゃのようなオレンジ色のレジスター。
その横にちいさなA看板。白地に横書きでメニューが書いてある。
「ツブアン」「コシアン」「シロアン」「カスタアド」「チイズ」「ヒガワリ」の文字。
ハンコで捺したような、タイプライターで打ったような味わい。
それぞれ1匹売りの値段と5匹売りの値段が書いてある。
オフシーズンに営業しているということは島民に重宝されているということで、だからこの値段設定なのだろう。
家族の食卓や宅飲み会場を、甘いにおいのたいやきがいろどる冬。

ツブアンとチイズを1匹ずつ注文する。
あざやかな手さばき、その手元で小さく渦巻く熱気、鉄板同士がふれる金属音。
うっすら流れるBGMはMONO NO AWAREのバラード。風呂上がりに聴きたいテンポ、温度。
ぽんっと型から外されたたいやきが、鉄板の横に置いてあった浅い木箱に並べられていく。

テイクアウト用の袋は白い紙素材のもの。正方形の2枚の紙が、右の辺と下の辺で接着されているだけの簡素な袋。
その右の辺に沿って縦書きで、たいやきのおなかのなかみが記されている。
A看板と同じ味のある字。かすれたり曲がったりしていてかわいい。
湯気をまとった2匹の魚がそれぞれその紙袋におさめられ、差し出される。

指先に熱が心地よく、思いのほか体が冷えていたことを知る。
もうすこし手の中に熱を持っていたくなって、歩きながら食べることに決めた。
キッチンカーの前を離れ、民宿が並ぶ道の奥へ。
見上げると星が結構出ている。海沿いの道の方がよく見えるだろうか。
しんとした道で立ち止まり、振り返る。
魅惑の車は暗い路地で、人知れず甘いにおいを放っている。湯気で星空がかすんで見えた。


寒さとたいやきの幸せな関係に気づいたことは、この冬を救うような気がする。
風と海が暴れてふさぎこみがちになる冬には、こういうあたたかくてかわいい食べ物が必要だ。切実に。
熱が体に移るのにつれて紙袋はくたっとなって、ハンコの字がにじんできている。
生まれてこの方しっぽから食べる派だけれど、べつに頭から食べてもおなかから食べても、せなかから食べたっていいじゃない。

思いつきと勢いで、ひそかに攻める冬になれ。


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