見出し画像

リスクはいつも隣にある

3月に入りました。1月、2月と良いサイクルに入ったように思っていましたが、人生そう甘くはありません。
まだまだ足りない部分が多い私は学ばせていただき変わるきっかけが近くにある一方で発展途上の為、課題となることがいつも近くにあります。
3月に入りプライベートで重大な事件を起こしてしまいました。
結論から申し上げると、復縁した彼女をまた傷つけてしまいました。
本当に猛省すべきことであり、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今後二度と繰り返さないため、また変わるためにもこちらに綴っておきます。

森を見て木を見ず

木を見て森を見ずという言葉はよく聞く言葉だと思います。
意味は「些細なことにこだわりすぎると、ものごとの本質や全体像を見落とすことがある」ということです。
今回の事象はこの逆で「森を見て木を見ず」という私の状況が引き起こしたことであると感じています。

事象

2023年にチャレンジする目標としてSNSへのチャレンジを明記しました。
振り返りやアウトプットの重要性を強く感じた2022年だったため、アウトプットの場を広げ、note=テキストの真逆にあるInstagram=写真にもチャレンジしようと考えていました。
私自身はInstagramはど素人で投稿したことがありません。
通常であればどのようなテーマでアカウントを作り発信するかなどを決めて発信を始めると思うのですが、私の実家で保護猫を飼っており以前からInstagramのアカウント自体は持っていたため、そちらを活用して始めてみようと思いました。
Instagramのアカウントは私のアカウントではあったのですが、Instagramど素人の私では機能がわからず、別でInstagramアカウントを運用していた元々カノ(以降Aさん)に運用を依頼しておりました。撮影自体を私が行い、その写真や動画の編集、投稿はAさんが行うという分担で行っておりました。そのお陰もありフォロワー数も増えている状況だったため投稿を分析できるツールのような機能も開放されるているアカウントになっていました。
2022年12月の上旬にずるずると続いていたAさんとの関係もお互いにきちんと関係を清算して次のステップに進むことを約束し別々の新しい道を踏み出しました。
SNSやLINEなどの連絡ツールはブロックして個人間のやり取りは行えない状況にし、Instagramのアカウントは私が引き継ぎました。
Instagramのアカウントについてはフォロワー数が多いほうがよいこともあり、Aさんのフォローも外さずにしていました。
もちろんそちらのアカウントでも個人的なDMは一切行っていませんし、互いに1フォロワーとしての認識しかありません。
しかし、問題はそのアカウントの存在や経緯などを含めて私が彼女に報告していないことでした。
私は実家に戻った際に動画や写真を撮っていたため、事件の起こる当日も何の気もなしに彼女に動画や画像を送り、その画像をInstagramに掲載していました。
そしてその日にInstagramのアカウントの存在を彼女が知ることになり、絶対に失いたくない、傷つけたくない存在の彼女を再び傷つけてしまい失う危機となりました。本当に申し訳なく猛省しています。

問題点

今回の問題の本質はどこにあるのかを深堀したときに2つです。

1.Instagramのアカウントの存在を彼女に報告していなかったこと
私の中ではずるずると引きずっていたAさんとの関係は清算していたため、個別で連絡は取り合っておらず今の関係はInstagramの1フォロワーとしての存在です。そのため、特に彼女に報告をしていませんでした。

彼女と話をさせていただき感じたことは、そもそも一度別れる原因にもなっていることに対して私の認識の低さです。
プロローグにも書いているのですが、Aさんとの関係が別れの原因にもなり私自身は多くの人を傷つけたにも関わらず関係を清算して以降連絡を取っていないという理由で報告していませんでした。
つまり、森(大きな解決したい問題)が解決したので森を構成している木(小さな事象)は特に大きな問題ではないという風に解釈していました。
彼女の立場に立って考えれば当たり前に報告されるべき事象であり、自分の立場で改めて考えても清算しているとはいえ、彼女との関係にリスクをはらんでいる事象を報告していないという、また最低な対応状況になっていました。

2.嘘をついていたこと
私はAさんと個人的な連絡を取れない状況にしているという話を彼女にしていました。
ですが、1フォロワーという認識で個人的なDMは行っていないにしろ実際には直接連絡が取れる状態です。
この点でも私の認識だけで判断していたことになります。
彼女の立場で考えれば当然連絡が取れる状況に変わりはないため嘘をつかれていると思われても仕方のないことです。

SNSの考え方
SNSを始めてみた私自身の考え方も少しだけまとめておきたいと思います。
まずはアカウントの運用に関してですが、ありがたいことに分析ツールが解放されているアカウントで運用させていただいているため、投稿の分析もできます。一言でいえば攻めも守りも大変だということです。
フォロワーを増やそうと考え投稿しても全く増えないですし、むしろ内容によってはフォロワー数が減ってしまったりします。
そんな状況のためフォローし続けているフォロワーさん一人一人がとても大切に感じます。そのため、過去に様々な関係があった人であってもフォロワーさんとして大事に感じていました。
SNS運用にあたってはInstagramのアカウントをオープン運用(誰でも閲覧フォローできる状態)する場合は恋人間でのリスクマネジメントとして、今回のようなお互いの過去に関係があった人からのフォローやアクションに対してどのように許容するのかなどは事前に話しておいた方が良いと感じました。

今後について

今回、私はまたしても大事な人を失う危機に直面しました。
原因全ては自分自身が行った行動です。
前回の反省を活かして即対応したことは前回との違いではありますが、傷つけたことには違いがありません。ただ、今回も彼女の寛容な心で許していただきました。本当に感謝でしかありません。
今後は些細な事でもリスクを感じる部分は彼女に共有することを徹底します。また必要な対話は積極的に行い、より良い関係になるような答えを二人で導き出していきます。

クソ人間だったと気づき行動で自分を変えたいと今も奔走しています。
今現状を家のリフォームで例えればダメになった箇所を修復して現状回復ができた状態=住めるようになった状態です。
つまりクソ人間(欠陥住宅)が普通の人(住める家)になった状態です。
ここから飛躍、成長をするためには、こうした様々な問題から逃げることなく受け止めて自分の行動を変えてさらに進化していく必要があります。
更に今は隣に彼女がいます。彼女が住みやすい環境になるように、彼女の価値観を尊重し、彼女の立場に立って考えることで、自分の中で相互の理解を深めてお互いが住みやすく洗練された家になるようにリノベーションしていく必要があります。

これからも全てが順風満帆に進むということはなく、たくさんの問題や壁に直面すると思いますが、問題から逃げることなく相手の立場に立ち常に物事を考えて森だけを見るのではなく細部までしっかりと管理します。

神は細部に宿る



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?