「気」は連続体という概念

この世界は宇宙が始まったときから今に至るまで連続体である。

道教の始祖である老子と荘子は「この世界は連続体である」と説き、道徳を世に広めた儒教の始祖孔子は「この世界は不連続体である」と説く。

文字通り受け取り、この世が連続体であるとしたら、すべての区別や差別はなくなる。しかし、法律は決まらず、混沌とした状態に陥る。この世が不連続体であるとしたら、法律は決まり、人々を治めることができるが、区別や差別がうまれる。

現代社会における人種差別はすべて「この世界は不連続体である」という思想に基づいている。もともと、われわれの祖先はアフリカ系類人猿の一人の女性から始まったものであることが遺伝子の研究が進むにつれて分かってきており、それはつまり、白人も黒人も、黄色人種も元々は一人の女性の遺伝子の連続体だということだ。しかし、この世は不連続体だと見ると、白人と黒人、黄色人種を肌の色や骨格の違いによって区別することができる。

白人と黒人の差とはなんだろうか。白人は生まれつき〇〇、黒人は生まれつき〇〇といって差別する人がいるかもしれないが、それはわれわれが生まれつき情熱的だったり夢想家だったりするのと同じくらいの個性にすぎない。彼らを区別するのは、文化だ。

気とは連続体という概念

気というものに、明確な区分はなく、常に動き続けるものという概念に過ぎない。現在の社会の仕組みは不連続体的な境界線によって線引きされており、これが気の正体が掴めない原因である。

言葉というものをみても、言葉は物事の境界を明確にする性質があるため、連続体である気を言葉で説明することは難しい。

柔軟な思考で、すべては連続体だと考えると、「人は気が集まってできたものだ」ということも理解ができる。

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