ブルーアーカイブ二次創作におけるリスペクト性についての煩悶メモ

 私はブルーアーカイブが好きです。透き通った青春も、水面下の重苦しいものも、漂ってくる点がつながった末の類推も、好きです。
 ですから二次創作を書いているわけなんですが、ある日、自ら読み返して「お前本当にこれは存在を許していいのか」と思う作品が出来上がりました。

 ぱっと見、意味不明なゴミです。ですが弄くり回した甲斐あって、自己否定という観点で見るとかなり面白いです。

 登場人物は誰も悪い子がいません。ただ豊見コトリという繊細な少女が自らに自信を持てず、その末自らを否定していまい、狂気に陥るという内容です。
 原作の豊見コトリという生徒の可愛らしさを踏まえると、こんなことをしでかした作者は地面に転がしたくなります。

 ですが豊見コトリの繊細な部分に躊躇なく入ることは、一読者としての私に奇妙な読後感をもたらしました。
 どうすればいいんだ、という煩悶を含んだそれは全身の筋という筋、肉という肉、血という血をどろどろとしたものに変えてゆきます。
 いやほんと気分が悪いんですよ。でも豊見コトリという可愛らしい少女を知っていると、こんなことがあっていいのか、許されていいのか、いやありえるかもしれないと段々と納得していってしまって、こちらも狂気に陥ってしまいました。

 さて、タイトルの「リスペクト性」について触れましょう。

 少なくとも上記の作品は透き通った青春ではありませんよね。でもこれも一種の青春ではないでしょうか。ただ入ってはいけないところまで行き過ぎているだけです。それを許容するならば、許してもいいはずです。
 でもそれは原作を尊重しているでしょうか。

 原作者のブルアカ運営様や開発様は懐が大海よりも広く、幅広い二次創作を許してくださっています。規約読めばすごいと感じます。
 ですがリスペクトのない二次創作はただの妄想の塊、ゴミです。
 ゴミはゴミでも使い道のなくて臭いゴミは、処分するほかありませんよね。
 放流するなんてもってのほか……

 ちょっと待ってください、それって個人的な意見ですよね。
 原作者様は許しているんですよ、それを一読者や一作者が許す許さないって、それはもう、履き違えています。

 例えば痰壺に突っ込んでも全く良心が痛まないような駄作でも、存在を否定することは、つまり履き違えている。
 でしたら私がとやかく思うのは、全然全くことごとくが、それこそ履き違えているのではないでしょうか?

 つまりこれは存在してもいい二次創作です。
 あってもいいはずの、豊見コトリの姿です。
 度し難すぎますが。

 そういう考えをまとめあげたので、ここに沈めることにしました。
 目と脳が汚染された人は、どうか許してください。

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