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山口 ナナ子「受け継がれていく叡智」

1.魅惑のハワイアンマッサージ

大阪府東大阪市にハワイアンセラピー専門店「Mana Growth Place(マナ グロース プレイス)」はある。

ハワイ語でMana(マナ)とは、超自然的な源より与えられた力のことを指している。

「全てのものにManaは宿っています。そうした力を呼び起こして、自分を成長させる場所(Growth Place)という意味で名付けたんです」

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そう語るのは、この場所を主宰する山口ナナ子さんだ。

山口さんは、2011年1月にこの店舗をオープン。

古代ハワイアンから伝わり、口承で受け継がれてきたハワイアンマッサージ「ロミロミ」(Lomi Lomi)のひとつ、Kahuna Bodywork (カフナボディワーク)をベースに施術の教室運営を行っている。

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山口さんは、1966年に大阪府東大阪市で3人姉妹の次女として生まれた。

小さい頃から母親から心配されるほど人見知りが激しく、いつも母親のスカートの端を掴んで離さない子どもだった。

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小学校に入っても、人見知りは続き、友だちは限定されていたものの楽しく過ごすことができた。

特にバスケットボールに類似した日本独自のスポーツである「ポートボール」に熱中していたようだ。

中学にあがると、誘われるままにバレーボール部へ入部した。

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スポーツの強豪校だったが、バレーボール部だけは弱小チームで、のんびりとした部活を過ごすことができた。

高校生になると、やんちゃな友だちと喫茶店に通うなど授業へ出席する回数も少なくなっていたが、山口さんなりの青春時代を謳歌していたようだ。


2.家業を継ぐということ

高校卒業後は、インテリア関係の専門学校へ進学することも考えたものの、姉が服飾関係の専門学校へ行って辞めていたことから、「両親が専門学校へ進むことを許してくれないのではないか」と感じ、諦めた。

代わりに別の会社へ就職する予定だったが、就職を仲介してもらう話が立ち消えてしまったため、仕方なく実家の家業を継ぐことになった。

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山口さんの実家は、呉服の洗い張りや染み抜き、染め替え等のメンテナンス全般を扱う悉皆業(しっかいぎょう)を両親が経営していた。

高校卒業後から手伝いを始めたが、多忙な仕事に翻弄される日々が続いたようだ。

「ちょうどバブル期で、友だちは華やかな生活を送っていたので、私も他の仕事をしてみたいと思うようになりました。周囲からは私が実家の跡を継ぐと認識していたのも私にとってはプレッシャーでした。色々我慢していたんですけど、あるとき『両親のためにも私が幸せにならなきゃ』と頭を切り替えたんです」

両親に辞めたいことを告げ、23歳で退職。

妹がアルバイトをしていたスポーツクラブで受付のバイトとして働き始めた。

受付のコンテストで1位に輝くなど、接客業の面白さを痛感していたが、正社員の仕事を探すために退職。

紆余曲折を経て、ジェットスキーのパーツの卸をしている会社の営業事務に採用された。

「最初は楽しかったんですけど、人間関係の揉めごとを見ていることが嫌になって辞めました。中学生のとき、『喫茶店をしてみたい』と考えていたことを思い出して、喫茶店運営のやり方を教えてもらうためにアルバイトとして喫茶店に入社したんです」

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やりがいはあったが、賃金が少なくアルバイトを続けていくことは難しくなったため、退職。

ジェットスキーのパーツの卸の会社から再び声が掛かり、同じ会社に復職した。


3.転機は訪れた

2年ほど働いたあと、29歳のときに2歳上の男性と子どもを授かり、入籍。

転機が訪れたのは、偶然NHKでフラダンスの番組を目にしたときのことだった。

「インタビューに答えていたおばさんたちが『フラダンスをやると愛情が芽生えて幸せな気持ちになる』と口を揃えて言っていたのを聞いて、娘が大きくなったらフラダンスを学ぼうと決めたんです。昔から『自分の特技が何か欲しい』と思っていたこともあって、『私には、これなんや』と運命的なものを感じたんです」

長女が3歳になったとき、近所にフラダンス教室が新設されたことを知り、体験に出かけた山口さんはすぐにフラダンスへのめり込むようになった。

「踊っているときが心地良くて、ただ楽しかったんです。生きている感じがしました」と当時を振り返る。

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フラダンスを始めてすぐに、ロミロミ(Lomi Lomi)という施術の方法と教えがあることを知り、2006年から学び始めた。

すぐに自宅を開放してサロンを始め、学びを続けながら2011年にスクールをスタートさせ、本格的に「Mana Growth Place(マナ グロース プレイス)」をオープンしたというわけだ。

2015年に新しい仕事場を借りたと同時に、母親の癌が発覚し、余命1年の宣告を受けた。

店舗のオープンと母のサポート、そしてフラダンスなどで毎日が多忙さを極めていた。

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「2016年3月11日に母が他界し、人生のこのままで良いのかを考え始めました。2006年から毎年ハワイへ通い始め、フラダンスとロミロミを習っていたんですが、次第に時間の余裕がなくなってきたんです」

改めて自分を見つめ直したときに、いちどフラダンスの世界から身を引くことを決意。

2016年でフラダンスの教室を退会した。


4.カフナボディワークの道へ

2006年からハワイを訪問していくうちに、山口さんは「ホ・オポノポノ」の存在を知った。

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「『ホ・オポノポノ』のPono(ポノ)とは『バランス、正す』という意味があります。古代では、部族や家族間の問題などをリセットし、バランスを取り、平和を保つために使われていました。そうした場合に、カフナが取り仕切る役目を担っていたようです。互いのバランスを取ることによって人生のバランスをも図ることができます。そうすることで平和を保ち、さらにエネルギーが拡大すると考えられていました」

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宇宙や自然、目に見えない力を大切にして、どう生きるかということに重きを置いた古代から伝わるハワイの叡智であり、そうした考えを元にしたロミロミ(Lomi Lomi)のひとつ、Kahuna Bodywork (カフナボディワーク)に山口さんは魅了されていったというわけだ。

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ロミロミには「揉む」という意味がある。

古典スタイルのKahuna Bodywork (カフナボディワーク)は、継承者が少なく大変希少なスタイルとして知られているが、一般的なロミロミとは手法も学び方も異なり、ただ技術を習得するだけではない。

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施術者はセラピストである前にひとりの人間として、宇宙の原理原則(カフナプリンシパル)から自分を知り、Mana(マナ)を高め、成長しながら、いまを生きることを学んでいく。

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「師と寝食を共にしながら、ディスカッションを行っていきます。日々の暮らしの全ての事象から、自分自身を深く掘り下げていくことで、生きる指針となる教えを学んでいくのです。自分を高めていかないと施術そのものを高めていくことはできないので日々学びを続けています。Growth Placeと名付けているぐらいなので、自分も一緒に成長していきたいですね」

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5.受け継がれていく叡智

「フラは心の言葉であり、ハワイアンの鼓動である」

第7代ハワイ王国国王であるディビット・カラカウア王がそう述べたように、かつてハワイの人にとってフラ(踊り)とは心の支えだった。

古代ハワイには文字が存在せず、先人の知恵や歴史、しきたりや習わしはすべて口承で伝えてられてきたが、神への信仰の表現や、体験などを後世に伝える手段として、フラ(踊り)は広まったと言われている。

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ハワイの人たちは、自然を敬い、そこに神を見出し、万物と共存することで命を繋いできた。

それは「八百万の神」の神々を信仰していた僕たち日本人の祖先と共通している。

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そう考えると、山口さんがフラダンスからハワイの歴史を学び、Kahuna Bodywork (カフナボディワーク)へとたどり着いたのも、ごく自然なことのように思える。

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「将来は、学び得た知識を使って喫茶店の片隅で悩みを解決できるような素敵なお婆ちゃんになりたい」と語る。

古代ハワイアンたちの叡智は、現代の僕たちにとっても大切なものをたくさん含んでいる。

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それが口承で受け継がれてきたように、次世代へ伝えていくのも僕らの役割なのだろう。

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そして、そのことを気づかせてくれるのが山口さんのような存在なのかも知れない。


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