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坂井 文香「愛しさを撮る人」

1.ニューボンフォトとは

思わず息を呑んでしまうような写真と出合った。

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生後まもない赤ちゃんが布に包まれたり背中に羽をつけたりして撮影された写真。

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その新生児の独特な丸みと可愛らしさは、まるで胎内で過ごしていたときのような神秘ささえ感じてしまう。

こうした幻想的な写真は「ニューボンフォト」と呼ばれ、近年は日本でもよく耳にするようになっている。

ただ、生後まもない赤ちゃんの生まれたての姿を残す記念撮影である「ニューボンフォト」を撮影するためには、単なる撮影技術だけでなく、新生児についての知識や経験も必要になってくる。

新生児の自宅を訪問し、こうしたニューボンフォトの撮影を続けているのが、広島県福山市に暮らす坂井文香(さかい・ふみか)さんだ。

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これまで撮影した被写体は600人を超えるというが、その根底にはある想いがあったようだ――――。


2.しっかりしなきゃ

坂井さんは、1974年に2人姉妹の長女として広島県神石郡で生まれた。

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小さい頃は、両親が仕事で不在のことも多かったため、祖母が坂井さんの面倒をよく見ていたようだ。

「本を読むことが好きで、子どもの頃は、お婆ちゃんに『日本昔ばなし』や『グリム童話』の絵本を読んでもらって、自分でストーリーを喋っていた記憶があります。大きくなるにつれて、田舎だったこともあって『長女だからしっかりしなきゃ』という意識が植え付けられていました」

「しっかりしてなきゃいけない」という思いから、小学生の頃から、児童会役員をやることもあった。

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ところが、ときにはそれがプレッシャーとなってしまい、小学校の頃は、忘れ物をしたときに恥ずかしくて泣いてしまうこともあったようだ。

中学はバレー部へ、高校に入るとサッカー部のマネージャーと美術部に所属した。

「彼氏と一緒に歩いていても、すぐに親に報告されるような田舎だったことが、ずっと嫌でした。友だちも小学校からずっと同じだったんですが、『私って本当はこうじゃないのに』と思いながらも演じている自分がいて、高校になるとそれが次第にしんどくなってきたんです」

「早く田舎から出ていきたい」という思いで一杯だった坂井さんは、神戸に叔母がいたこともあり、甲南女子大学短期大学(現在は廃止)の英語科へ進学した。

英語が得意だったわけでもなく、何となく英語を学んでみようと入学し、芦屋市で2年間の寮生活を送っていた坂井さんに事件は訪れる。


3.大震災のあの日

卒業を間近に控えた1995年1月17日午前5時46分、大きな揺れとともに目を覚ました。

阪神・淡路大震災だ。

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「2人部屋の寮生活だったんですけど、突然大きな揺れとともにベッドの上の棚から本やCDが落ちてきたんです。余震が続くなか、寮のロビーに集まってみんなの安否確認をしました。食堂の床が陥没していたり、窓から外を見ると、報道写真などで取り上げられることになる阪神高速が崩落して転落寸前のバスが見えたりしていたんです。未だポケベルの時代だったから、公衆電話に並んで家族へ連絡したんです。停電で被害状況が分からなかったんですけど、電池式ラジオからアナウンサーが次々に増える死者数を報道していて、余震が続く中、それを聞きながら眠りについたことを記憶しています」

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(写真提供:神戸市)

しばらく経って、実家に戻ろうとしたものの、最寄り駅も被害を受けて機能しなくなっていた。

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そこで、同じ方面へ帰る友だちと寮から2駅分歩き、臨時便の飛行機に乗って、なんとか実家へ戻ることができた。

震災の影響で、授業や卒業旅行も中止となり、卒業式だけ出席し、友だちと久しぶりの再会を果たすことができたようだ。

短大で中学校英語科の教員免許を取得していたこともあり、採用試験を受けたものの挫折。

内定を貰っていた神戸の会社も震災で受け入れ中止になったため、妹が広島で専門学校に通うこともあり、広島市内の住宅リフォーム会社で営業職として働き始めた。


4.広島での暮らし

「壁の吹付けしませんか?屋根を葺き替えませんか?」と一軒一軒をまわる營業仕事だったが、飛び込み先で怒鳴られることも多く、肉体的にも精神的にも限界を感じるようになり、2年ほどで退職。

そのあとは、フリーターとして広島市内のカフェや靴屋で働くなかで、24歳のとき、知人の誘いで歓楽街の飲み屋でアルバイトを始めた。

しばらく経つと、そのアルバイト先に事務社員として雇用されるようになったが、坂井さんはよく系列店などで飲み歩いていたようだ。

「あの頃は、だらけた生活をしていましたね」と当時を振り返る。

そのときに住宅会社へ勤務する4歳上の男性と知り合い、恋に落ちた。

彼氏が福山市へ転勤することになり、坂井さんも広島での仕事をやめて転居。

31歳のときに結婚し、2人の娘を授かった。

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結婚前には、福山市で美容室に秘書職として勤務。

他店から美容師をスカウトするなかで、「フリーランス」としての働き方があることを知った。

産休の間、ベビーマッサージの存在を知り、「自分と我が子にも役立つし、将来的には教室ができれは良いな」と講座を受講し、資格を取得した。

仕事を退職し、34歳のときから自宅でベビーマッサージ教室を始めたというわけだ。


5.ベビーマッサージの道へ

「娘が7ヶ月のときにベビーマッサージの試験を受けて、合格してすぐに教室を始めたんです。普通はモデルとして人形を使うんですが、私の場合は我が子をモデルにしてたんです。もちろんぐずってしまう赤ちゃんもいるんですけど、それはお互い様ですから。赤ちゃんが『寝てくれない』『便秘気味』などの問題解決にベビーマッサージが有効な場面も多くあります。また、レッスンのあとで、お茶とお菓子を出して悩みを相談し合ったりもしています。赤ちゃんは当然気持ちが良いんですけど、マッサージを施しているときのママの顔がとても良い顔なんですよ」

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赤ちゃんのさまざまな発達を促すといわれるベビーマッサージだが、それだけではない。

特に初めて子育てをするママにとっては、育児は不安なものだが、マッサージで喜ぶ赤ちゃんを見ることで、ママの気分も晴れ、自然と育児への自信がつくことだってあるようだ。

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こうした経験から、坂井さんは「ママに喜んでもらえることって良いな」と思うようになった。

ところが、悩みもあった。

我が子と一緒にいる時間を確保するために、自宅でベビーマッサージを始めたものの、子どもが大きくなるにつれて、やりたい仕事と子育てのバランスが難しくなり保育園に預けざるを得なくなったようだ。

坂井さんにとっても初めての子育てだったが、自宅を訪れてくれるママたちと話をすることで悩みの解決につながることも多かった。

そうしたベビーマッサージは、ライフワークのひとつとして、現在までに10年近く開催を続けている。


6.愛しさを撮る人

そんな坂井さんがカメラマンに転身するきっかけは、ベビーマッサージ教室に参加してくれた赤ちゃんを写真に撮ってママに渡していたときのこと。

「写真が上手ですね」と褒めてもらったことで、写真の世界にのめり込むようになった。

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「当時、フリーの女性カメラマンが少しずつ台頭してきていたんです。私も最初はフリーのカメラマンとして活動をしていたんですけど、あるとき『ニューボンフォト』の存在を知って、一気に魅了されたんです」

日本ではほとんど情報がなかったため、海外のカメラマンがYouTubeにアップした動画を参考に、撮影方法などを学んでいった。

知り合いに助産師がいたことも、坂井さんにとっては幸運だったようだ。

新生児の扱い方や特性など、疑問に感じた点を気軽に相談することができた。

本格的にニューボンフォトの撮影を始めて、今年で6年になる。

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基本的には新生児が眠っているときに撮影を行うが、ときには眠りの浅い赤ちゃんと出会うことだってある。

しかし、そんな苦労も吹き飛ぶくらいに日々の撮影に喜びを感じているようだ。

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「新生児ちゃんは、一緒にいるだけでも癒やしのオーラが凄いんです。ご両親にとっても幸せな空間なので、おめでたい場所を訪問させてもらって記録に残す貴重なお手伝いができていることを幸運に感じています」

「今日はよろしくね、いまから写真を撮ろうね」と赤ちゃんともコミュニケーションを図りながら撮影を行っていく。

さまざまなポーズは坂井さんがコーディネートするが、ときにはお母さんたちに手伝ってもらうこともあるようだ。

なかには、子どもたちの兄弟全員が坂井さんのニューボンフォトを経験したというお客さんもいるほどだ。

これまでの豊富な撮影経験と、子育てを経験した母親としての坂井さんの腕前に、誰もが絶対的な安心感を抱くのだろう。

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「必ずママと赤ちゃんの写真を撮るようにしています。多くの子育て中のママさんって、自分と赤ちゃんを収めた写真って持っていないんですよ。子育てに一番頑張っているのはママなんだから、我が子を抱いているときの優しい表情をカメラに収めさせていただいています」

そう語る坂井さんは、これまでニューボンフォトの写真展を各地で開催してきた。

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次に目指するのは、自分のようなニューボンフォト専門に撮影するカメラマンの養成講座をつくることだ。

子育てを続けていくと、ときには可愛い我が子に対して当たり散らしてしまうことだってあるだろう。

そんなときに、ニューボンフォトを眺めていると、我が子が愛しくてたまらなかった、あの頃を思い出すことができる。

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まさにニューボンフォトとは、本来の写真が持っている「記憶装置」としての役割を果たしている。

そして、過去を思い出すことは未来を見据えるにも繋がっている。

つまり、ニューボンフォトとは、「生まれたての我が子と過ごした時間を可視化し、未来を見つめることができる装置」と言えるだろう。

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そして身内ではなく、第三者だからこそ撮れる写真というのは存在する。

いまこの瞬間しかない、尊くて、儚くて、愛しい親子の時間。

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そんな大切な時間をぎゅっと閉じ込めることができるのは、坂井さんのようなフォトグラファーなのだろう。


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