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兼子 孝子「人生を楽しむ書」

1.己書(おのれしょ)とは

北海道中南部にある登別市。

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日本を代表する温泉地として知られており、9種類もの温泉が湧き出していることから、「温泉のデパート」とも言われている。

この登別市で、2019年3月から楽輝己書道場(ラッキーおのれどうじょう)代表として活動しているのが、兼子孝子さん(かねこ・たかこ)さんだ。

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己書(おのれしょ)とは、筆ペンで心のままに描く書のことで、自分自身を表現するための筆文字です。そこには上手い下手もありません」

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そう語る兼子さんは、1956年に北海道で生まれた。

養子縁組で養女として迎え入れられたため、小さい頃は人見知りでおとなしい子どもだったようだ。

図鑑や漫画や全集など、読みたい本はすぐに両親が買ってくれていたため、そのお蔭で勉強が好きになった。

周囲からの勧めもあり、将来は教員になることを夢見ていたようだ。

「中学生のときは、バレー部つくって遊んでいましたね。高校時代は、軟式テニスをずっとやっていました。運動音痴なんですけどね」と笑う。


2.教員を夢見て

高校卒業後は小学校教員を目指して、大学進学を決意。

「東京の4年制大学へ進みたかったんですけど、両親に負担をかけるのはマズいと思って」と江別市にある北海道女子短期大学(現在の北翔大学短期大学部)へ進んだ。

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「教育実習で小学校を訪れた際に、先生たちが、まるで箱に詰められて人の顔色を伺っているように見えて、職員室の雰囲気が私には合わなかったんです。ここは私の現場じゃないと思いました」

実習を機に教職の道を諦め、大学卒業後に結婚し、のちに3人の子どもを授かった。

育児をしながら家庭でできる仕事を探すようになった兼子さんは、教育雑誌を眺めていたとき、「水道方式」「公文式」という2つの学習法の存在を知った。

24歳のときから自宅を開放し、公文式の教室をスタート。

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最初は算数や数学を、軌道に乗ってくるようになると、国語や英語も教え始め、約30年もの間、教室運営を続けた。

一度は諦めた教職の夢だったが、別の形で教育現場と向き合ってきたというわけだ。

「続けていくうちに目標を見失っちゃって、何か違う気がしてきたんです。自分が情熱を持てないものに対して、お金をいただくことが申し訳なく思うようになって、運営から離れることにしました」

その後は、障害のある人の就労支援施設が運営するグループホームの管理人として2〜3年ほど勤務。

両親の世話をしながら、仕事を続けた。


3.「己書」の道へ

そんな兼子さんに転機が訪れたのは、4年ほど前のこと。

将来、両親の介護で家から出る機会が少なることを予想して、家でできる趣味を探していたところ、SNSで面白い字を見つけた。

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自分で調べていったところ、たどり着いたのが「己書」だったようだ。

筆ペンだけで気軽に始められることに魅力を感じたんです。そこに上手い下手はなくて、二度描きや三度描きでも良いんです。『己書』を始めるにあたって、色々な団体で師範になるまでの道のりを調べたんですが、『己書』が一番安かったんですよね。つまり、生徒からもそんなにお金を頂かなくて良いということだし、誰でも気軽に習うことができるってことなんですよね」

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そもそも「己書」とは、2012年に総師範の快晴軒天晴(あっぱれ)こと杉浦正さんが名古屋で「日本己書道場」を開いたことに端を発している。

手本を元に「とめ」「はね」「はらい」そして「書き順」など、型にはめて正確に書くことが求められる書道に比べ、「己書」の自由度は高い。

手本はあるものの、型にとらわれず、書き順さえ気にすることなく、自分が思うままに描くことができる。

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書ではなく、まさに画のように「描く」のだ。

独自の書体で自分を表現することのできる「己書」の人気は高く、全国で1,500人もの師範が生まれている。

「北海道で『己書』を広めたい」という思いが、兼子さんを突き動かした。

北海道ではまだひとりしかいなかった「己書」師範を目指して大阪、東京、そして本部のある名古屋に通い、1年かけて師範を習得。

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師範になるため、60歳になってから初めてひとりで飛行機に搭乗したというから、そのエネルギーには驚かされてしまう。

現在は、日本己書道場上席師範として多くの弟子を抱えている兼子さんだが、「北海道全土だけでなく全国へも師範を育てたい」と夢を語る。

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「いまは公民館などを借りて教室をやっているんですが、80歳で工房のひとつでもつくれば、人が来てくれるかな。96歳の師範もいますから、人生の後半戦はこれからです」


4.人生を楽しむ書

兼子さんは、33歳頃には3歳下の男性と再婚し、2人の子どもを授かった。

兼子さんの夫も退職を決めてから「己書」の師範を取得し、兼子さんのサポートなどをしているというから、人生を謳歌しているようだ。

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「いまは、先人が蒔いた種の収穫をさせてもらっている時期だと思っています。だから、私も次の世代に花が咲くような種を蒔いていけるような活動していきたいんです。自分勝手じゃなくて、好き勝手な人生を送りたいですね」

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FacebookやTwitter、InstagramにYouTube、そしてTikTokなどあらゆるSNSを駆使して、兼子さんは「己書」を広めることに尽力している。

「Twitterのフォロワーが1000人になったら、どんなことが起きるのかを探りたいんです」とその視線はマーケティングの手法そのものだ。

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北海道という場で、そして60歳を過ぎても、兼子さんは精力的に活動を続けている。

兼子さんのそうした姿勢は、距離と年齢は言い訳にはならないことを教えてくれる。

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言い訳などいらないのだ。

後悔なんてする前に、とにかく動いて試して、自分が楽しむこと。

それが結果的に自分の人生を実りあるものへと変え、周りを幸せにしてくれることを兼子さんは知っているのだ。


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