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森本 久美子「いつでもエールを」

1.世界共通の美意識

欧米人にとって、日本人の女性の黒髪は非常に魅力的に見えるが、日本人女性は真っ黒よりも明るい髪色を好む人が多い。

ある国では魅力的だと思われることが、別の国ではそうではないと判断されることがある。

当然のことながら、国や文化が違えば、そうした美的感覚は異なってくる。

しかし、「まつげ」に関しては、誰もが濃く長く見せることを求めている。

この美的感覚は、どうやら世界共通のようだ。

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「エクステをつけてまつげにボリュームが出たり、パーマをかけてまつげがカールしたりすると、お客様の表情がパッと輝くんです。その笑顔が仕事の原動力になってますね

そう語るのは、愛知県刈谷市にある「美容処 まつげ庵」のオーナー、森本久美子さんだ。


2.憧れだった美容師

森本さんは、2018年に独立開業し、この店をオープンした。

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1983年に名古屋市で3人きょうだいの長女として生まれた森本さんは、小さい頃から美容師になることを夢見ていた。


「小学生や中学生の頃から髪を触ることが好きだったんです。幼い頃から女の人がひとりで生きていくためには、資格がある職業についたほうが良いと決めていて」

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名古屋市内の高校を卒業したあとは、2年間美容学校へ通い、技術を学んだ。

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卒業後の20歳から、市内の美容室でアシスタントとして働き始めた。

ところが、接客時のシャンプーによる手荒れだけでなく、あるとき交通事故で車に追突された影響により、心身共に限界を感じるようになり、25歳のときに退職し、「もう未練はない」と美容師の夢を諦めてしまった。

しかし、「いつでも帰っておいで」という美容室スタッフの温かい声掛けにより、2年後には同じ美容室でパートの受付スタッフとして復職を果たすことができた。

3年ほど働いた28歳のとき、3歳年上の男性と入籍し、初めての結婚生活がスタートした。

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「彼は『家庭に入って欲しい』と思っていて、私が外に出て働くことを好ましく思わなかったんです。怒りっぽい人だったんで、自分の思い通りにならなかったり、私が外食したりすることが続くと、すぐに機嫌が悪くなっていましたね。私も勝ち気な性格だったんで、最初は言い返していたんですけど、そうしたら彼はもっと興奮して顔が腫れ上がるくらい殴られたこともありました。あまりのDVに死を意識したこともありましたよ。だから、彼の機嫌が悪くなったときは、私は『無』でいることを自分に課していたんです。あとで分かったんですけど、私と付き合っていた当時、彼は傷害事件を起こして執行猶予中だったようです」


3.挫折からの光


悩んだ末、30歳のときに離婚し、仕事も退職した。

美容室では受付業務だけでなく、美容師免許を持っていたことから着付けなども担当していたが、ときどきお客さんと接しているうちに、「もういちど接客業の仕事に携わりたい」と考えるようになっていた。

そして、離婚を考えていた際に、まつげエクステなどを施す「アイラッシュ」の仕事に美容師免許が必要なことを知った。

森本さんによれば、まつげエクステなどの施術に、ほんらい資格は必要なかった。

しかし、世間にまつげエクステが浸透するにつれて、無資格で誰でも施術をおこなうことができるようになった弊害で、目の粘膜や角膜を傷つけてしまうなどの被害が急増したため、2008年に厚生労働省が「美容師免許の取得を必須にする」という通達を出したようだ。

彼女の接客業への思いは日に日に増していき、美容室に併設されているアイラッシュのサロンに勤務。

彼女が在学していた当時の美容学校では、アイラッシュの技術を専門的に学ぶことができなかったため、先輩に教えてもらいながら、あらゆる技術を習得していった。


4.人生が好転する


そんな彼女に転機が訪れたのは、32歳のときのこと。

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「もう結婚は懲りごりだ」と思っていたときに誘われた合コンで、独身の女友達のために盛り上げ役に徹する姿を面白がってくれた2つ下の男性と出逢った。

友だちとして急接近し、同棲を経て33歳で再婚することができた。

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彼と一緒に転居してからは、刈谷市の店舗に勤めだしたが、仕事をひとりで任されることも多く、次第に「これなら自分ひとりでもやっていけるのでは」と考えるようになった。

そして彼からの応援も受け、2年前に開業することができたというわけだ。

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新規開業ということで、当初は数名のお客さんが足を運んでくれるだけだったが、次第に評判を呼び、近年では、少しずつ店の経営も軌道に乗るようになってきた。

カウンセリングで顧客の話にじっくりと耳を傾け、まつげエクステやまつげパーマに加え、今年7月からはフェイシャルエステも開始した。

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「お客様としっかり向き合うことをいちばん大切にしていて、絶対に機械的にならないように心がけています。他店舗でまつげが縮れてしまった方などが駆けつけてくださることもあり、綺麗に改善されたときは、私も嬉しくなってしまいます。もちろん無理なときは無理と言いますけど、お客様ひとりひとりが持っているまつげの素材を尊重するようにしています。先日も90歳の女性のお客様の顔の手入れをさせてもらったんですけど、施術が終わったあと、表情が変わり、明るくなって帰っていかれたんです。まつげのハリや肌の艶ひとつで、こんなにも人の気持ちって豊かになるんです。もしかしたら敬遠されている人がいるかも知れませんが、ぜひ試して欲しいですね」

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5.女性の自立を支えたい


そう話す森本さんには、憧れている女性がいる。

23歳で独立し、2008年にアイラッシュ業界に参入して、日本全国に国内最大級のアイビューティスクールを展開している女性経営者の橋本とよみさんだ。

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同業者の先輩というだけでなく、橋本さんが主催する女性支援プロジェクト「RESTA PLUS」の活動にも大いに共感し、オンラインサロンへ入会し、応援を続けている。

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「この国には、『結婚したら女性は仕事を辞めて、専業主婦になるというのが当たり前』という旧来の考えが、未だに根強く残っていますよね。私も最初の結婚のときに、そういう考えが普通だと思っていました。やがて結婚生活も上手くいかなくなって、半ば人生を諦めていました。でも、その考えは間違っていることに気づいたんです。私は、新しく人生をやり直すことができました。だから、いまの若い子たちがすぐに諦めている姿を見ると、もったいないなぁと感じてしまうんです。できる限り、女性の自立をサポートしたいと思っています」

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1985年には「男女雇用機会均等法」が、2015年には「女性活躍推進法」が制定されたことからも分かるように、女性の社会進出が声高に後押しされるようになったのは、つい最近のことだ。

女性が子育てをしながら働くことは、国民の意識の上では大いに肯定はされているものの、就業を支える家庭生活での役割分担に関するサポート体制との間には大きな溝があることも事実だろう。

「女性が社会と切り離されない人生を」と訴える森本さんが、こうした思考に至るきっかけは、母の存在が大きいようだ。

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「私たち3人きょうだいが『これをやりたい』と言ったとき、『お金がないから無理』と母から反対されたことは、いちども無かったんです。だからと言って、決して裕福な家庭ではありませんでした。母はそういう面では強い女性でした。でも、父とはいつも不仲で、病気がちだった父の面倒を母はいつも見ていて、経済的な不安から父と離れることができなくて、そこが母の弱さでもあると思っていたんです。母の姿を見ていて、本当にやりたいことができない辛さというのを、いつも傍で感じていましたね」


インタビューの最後に、「実は将来は、小料理屋の女将になるのが夢なんです」と教えてくれた。

人に接客をして喜んで貰える仕事であれば、ジャンルは関係ないのだという。

「だから、もし私の両腕が無くなって、いまの仕事ができなくなっても、人と関わって喜んで頂ける仕事に就きたいです」と語ってくれた。

こんな風に人生の紆余曲折をたどりながら、自分や店のことだけでなく、女性の社会進出のことまで思いを巡らすことのできる人は、なかなかいない。

彼女は、顧客のこと、そして未来の女性たちのことなど、いつも誰かのことを気に留めている。

そうした想いは精一杯のサービスになって、みんなの心を晴れやかにさせている。

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彼女の店舗の口コミの多さに、僕は思わず納得してしまう。

いまの彼女にとっては、仕事も家庭も、どちらも両方大切な宝物だ。

自分の大切なものを、たくさん抱えている人はなんて強いんだろう。


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