猫のように生きてみる、生きてみたい

私の人生は、人の顔色を伺ってばかりの人生でした。
小学生の頃、色白で身体が細くて見るからに気が弱そうな子で、クラスメイトの輪になかなか入れずに下を向いて話すような子だったと思います。
家には借金があって母親も父親も一生懸命返していました。時折家族の間で難しい話をしていましたが、成長するにつれそれがお金で苦しんでいる話だと小さな頭でも少しわかりました。
暗い顔をする二人を見ては、私はすごく心配性だったので
お金大丈夫なの?
笑って?
とよく言っていたそうです。
子供の優しさと言えばとても聞こえが良いのですが、その頃すでに私は素直になれず、親の顔色を伺って良い子になろうと少しでも背伸びして大人に見せようとしていました。

思春期になった私ははやっぱり内気で暗いままでしたが、親に対してはかなり反抗的でした。
気に入らないことがあると文句を言い、居間のドアを壊れるくらい激しく閉めてドンドンと音を立てて歩いて部屋に閉じこもっていたこともあります。
今思えば優しい両親に対してとても悪いことをしました。

そんな私はその頃から自分の心の足りない何かを物で満たすようになります。

ダルそうに学校に行き、学校が終わると夜遅くまでバイトをして帰る。
そのバイトしたお金はすぐに物に換えて部屋に並ぶようになりました。
それは、服であったり、ゲームであったり、必要のないフィギュアであったり…
これを聞くと普通の子のように感じますが、そのお金のだらしない使い方と物の量は文字に表せないくらいです。本当にひどいものでした。

社会人になりさすがに物事の善悪や人に迷惑をかけてはいけないということは頭でわかるようになり、物を大量に買ったりすることは減りましたが、給料が入ってもすぐにタバコや酒、パチンコスロットで使い果たし、クレジットカードを使っては月末をしのぐ。
そんなどうしようもないやつでした。

そんなどうしようもないやつに今度は見栄が加わって、周りの仲間と飲み会に行っては酒代を奢ってみたり、付き合いたい女の子に見栄でお金を使うようになりました。
周りの人に嫌われたくない、お金を使って好かれたい。
ほんとにバカにバカを重ねて大バカの完成です。

ある時、そんな僕は素晴らしい言葉に出会うことができました。

それは大バカだった自分を180°変えてしまうような言葉です。

『LESS  IS  MORE』

これは建築の哲学用語のひとつで、直訳すると
『より少ないほうがより良い』
という意味になります。

この言葉は自分の物に溢れた人生、人の顔を伺って生きる人生がいかに愚かで無駄なことなのかを教えてくれました。

人は必要な量の物を、必要な分だけあればいい。

お金は必要な分だけあればいい
お金を使うときはよくよく考えてほんとうに必要かを考えてつかう
お金を使えば物は増えていく、その物に溢れて生活していくことが本当に幸せなのか
その人間関係は本当に自分にとって必要なのか

人は欲深いから満たされたいと物を増やしてしまったり、自分の周りに人を増やせば偉くなって傲慢になり、その人たちを手懐けるためにお金を使い気を使い見栄を張る。

本当に今の私があるのはこの言葉のおかげです。

いま現在、やっぱりたまに悪い癖が出てきて違う道に外れたりすることもあります。
人間として生きる以上、お金はたくさん蓄えておきたいし、たまに贅沢もしたくなります。
でも、大きく外れそうになったりしたら過去の過ちや経験を思い出すようにしています。

まだまだ私は、猫のように生きることは出来ませんが、

猫のように生きたい

気ままに、周りに流されることなく

でも優しくて周りを傷つけないちょっとだけ自分に誇りや自信があるような

そんな猫になれたらと思っています。

#にゃらてぃぶ
#LLAC


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