仏の名は何度変わるのだろう

◯◯よ。お前は死ぬまでに三人の嫌いな奴に出会うだろう。その度に改名するがいい。最初の名を『丸の内◯◯』(マルノウチマルマル)とする。

そう言い遺し、俺が生まれてからわずか十日後に病死したのがクソ親父だった。母『丸の内恭子』は女手一つで俺を育て、たくさんの愛をくれた。
その愛を全て受け止めもせず、俺は多くの人間を嫌う奴に育った。だからわざわざ嫌いな三人をピックアップしてやる話なんかどこにも無いんだ。誰よりも、クソ親父が一番嫌いだったから。

逆に色恋沙汰でも話そうか。高一の時に二つ上の先輩に告白された。オレと付き合ってくれ、と。それは存外、心地の悪い話ではなかった。それまでは、同性愛を自分ごととして捉えていなかっただけで、それを気持ち悪いと思うような自分はいなかったから。まあ付き合うとはいえ、一緒に下校し最寄駅までの道のりを共に歩くだけの間柄だった。

やがて『嫌よ嫌よもゲイのウチ』と顔も知らない周りが俺のことを蔑んだ。その勝手な枕言葉が一番嫌だった。貶されていることを知った彼はなぜか申し訳なく思ったらしく、三ヶ月ほどで別れを告げられた。そのときの悲しさが示したのは、俺が嫌うばかりの人間ではないという事実だった。

俺は見てくれが悪くなかった。だから地元から遠く離れた大学に入ると、今度は女性が結構寄ってきた。「選びたい放題だな」と、仲良くもないのにやたら馴れ馴れしく絡んでくる奴がいた。そいつの言われた通りになるのが嫌だから、選ばず無造作に、入学して誰よりも最初に挨拶を交わした女性をどうにか思い出し探し出し、交際を申し出てみた。すんなり付き合えた。

その人と六年半の交際を経て結婚することになった。彼女のことをどこまで好きになれたのか今でも自信はない。そして自らの苗字を貰わせても迷惑だろうと思い、夫婦別姓を選んだ。それでも何か誓いのようなものを立ててみたくて、彼女の名前『マル子』にちなんで自らの名を『マルオー』という読み方にする改名の手続きを行った。
マル子は「気持ちは嬉しいんだけど、呼び方変わるのは複雑……」とこぼし、それからは俺を『丸の内のダンナ』と呼び始めた。それはこの上なく他人行儀に聞こえ、やっぱり嫌な呼ばれ方だった。こんなはずではなかったのに。

「だからって私に『こまる』なんて付けなくていいじゃない。ほーんと困ってるんだから!!」
俺が決まって話すそれらの話に、こまるもいつも決まってそう返す。確か幼稚園児の頃からずうーっとそうだ。
『こまる』も『マル子』と『◯◯』(マルオー)の娘として、立派に俺を嫌うのだろう。俺がクソ親父を、クソ親父『丸の内セン』がクソ祖父を嫌ったように。

#一駅ぶんのおどろき

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