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話し合いに失敗して考えたこと9個(その⑨前半 いつも相手待ちの人間関係)

前回の記事の続き


とりあえず考えたこと9つ、のうち最後⑨について



①責める態度が前面に伝わった

②家族にも自分を出せていない

③怖くて動けないけどまず伝える

④今の状況に拒否反応

⑤弟が一番辛いのかも

⑥それでも関わりたい

⑦何回もアプローチ

⑧家族のコミュニケーションスタイル

⑨私自身のコミュニケーションの課題



私自身のコミュニケーションの課題


弟は相変わらず引きこもっていて、一切の会話はない。

この状況に希望が見えず時に憂鬱になってしまう。

今の状態が嫌で嫌で仕方ない。

でも、自分から何もアクションできず、どうすればいいのかわからない。



ふと気づいた。

自分のコミュニケーションスタイルについて。



私は人間関係において、いつも相手待ちだった。

自分も弟と同じように心を閉ざしていたのに、逆の立場になるとどうすればいいかわからなかった。

弟の気持ちが和らぐのを待っているしかないのか?

でもこの状態を変えようと意図的のした行動には私の気持ちが乗っていない場合、逆効果な気がした。

変えようと頑張った行動は上手くいかないことが多い気がした。



結局、過去の自分が批判していた人たちと私は一緒だった。

引きこもり相談に行っても本人が来れないと無理だとか。

本人が行けれないから困っていた。

相手がここまで来られないのなら、こちらからは行かない。

同じ土俵に上がれる人とだけ話す。

個人を責めるつもりはない。そこまでの支援体制しか今の日本にないだけなので。

窓口があること自体はありがたいと思う。

当時、私は制度に絶望していた。(引きこもり支援については今制度も変化しつつあり、また別記事で。)



過去の自分の体験に照らし合わせて想像していた。

弟は苦しいだろうと思った。

どうにも動けないのだ。

自分や相手を責める感情から自由になれない。




結局、弟に対して私が考えていたことはこうだ。

「自分からアクション起こしてくれたらいいのに。」



それは、弟に対してだけでなく、今まで、あらゆる人に対してそうだった。

状況を変えるアクションをいつも相手に要求していた。伝えることはなくとも。

多くの場面で、来てくれた人と仲良くしてきた。

自分が仲良くなりたくても、そうでなくても。

人間関係をいつも受け身で生きてきた。

人間関係を自分で創るという感覚がなかった。

それは生き方に通じる。



相手がこちらを向いていなくても自分から近づいていく、ということをしてこなかった。

私が相手に近づくのは、そのコミュニティで人との関係性を作れているという所属感を確保しておくためでもあった。

だから、私が近づく相手は、どこか仲良くなれそうな人という判断基準も含まれていた。

クラスで孤立しないために。

職場で社会性があることの証明として。

まあ多かれ少なかれ皆そんな部分があるかもしれない。



人間関係だけでなく仕事選びや、色んな場面でそうだった。

常に判断基準は自分の外にあった。

元々、視線恐怖症、場面緘黙症だった私にとっては、どこに行ってもどこかコミュニケーションが上手く行かなかった。

あらゆるコミュニティはいつもアウェーだった。

なんとか馴染もうとして、だから、いつも頑張ってきた。

その結果だった。



でも、これからは、人間関係も自分でクリエイトしていきたい。

結局、今の私には仲良くなりたいと思う人が少ないかもしれず、途端にオープンになることもなく、変わらず警戒心全開でいるんだろう。

でも、少しずつでも、自分が望む人間関係をクリエイトしていきたい。



長くなったので一旦切ります。

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