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だから、ぼくはヒーローになれない episode 1 -序文:21世紀の藤沢武夫をめざして-

新型コロナウイルス感染症に罹患された方やそのご家族には心よりお見舞い申し上げますとともに、1日も早い回復をお祈りいたします。また過酷な状況のなかリスクを取って対応していただいている医療従事者や、生活物資を日夜運んでくれている運送の方、交通インフラを支えている人、飲食関連で働かれているみなさん、本当にすべての皆様に感謝をお伝えします。本当にありがとうございます。一緒にがんばりましょう。

はじめまして。よろしくおねがいします。
これからnoteに記事を書いてみる。

テーマは「だから、ぼくはヒーローになれない」

とてもネガティブなところからスタートしようかなと思う。それが一番しっくりくる。今日は序文なのでテーマの話をしようと思う。

「2番手」の流儀

昔から、いつも「2番手」だった。サッカーでもチームで2番目に上手かったし、中学校でも生徒会の副会長だったし、高校でも3年間副委員長だったし。

自分の中で「2番手」が居心地がいいのがわかっているんだと思う。
目立ってないわけではないけど、1番ではないから、わけのわからん悪態つけられにくい。2番手になるのは楽チンなのだ。
なによりも常に「1番」になれる実力がなかった。どんな物事でも。

日本という環境で生まれ、教育を受け、生活をしてきた人(日本人とは限らない)は僕のように思っている人結構多いと思う。
1番にはなりたくない、なれない。その中で、自分はどういう生存戦略を考えていかなければならないのか。

「自分は2番手」という考え方は幼稚園の頃から考えていて、自分のアイデンティティについて毎日考えていた。いわゆる中ニ病を幼稚園から発揮していた。
高校生になってそれなりの青春を迎え、より一層その屈折したひねくれになったある日、一冊の本に出会った。

20世紀の日本は藤沢武夫がつくった、と言いたい

藤沢武夫は本田技研工業(HONDA)を本田宗一郎とともに創った実業家である。経済学部や経営学んでいると教科書に出ている。
本田宗一郎が”技術”の天才とすれば、藤沢武夫は”経営”の努力家である。本田宗一郎という孤高の天才を世界から愛されるクルマメーカーの絶対的社長に成りあげたのは、言うまでもなく藤沢武夫のサポートがあったからである。
藤沢武夫の経営学、人心掌握術は以降の日本、いや、世界の経営者たちのお手本となった。経営者だけではない。高校生の心にも届いたのだ!理数科にいて誰もが理工学系の大学を志望する中、経済学部への志望に急遽変更した。人生を変えた本だった。

藤沢武夫は、20世紀を代表する”ヒーローにはならなかった人”であった。

ぼくはヒーローになれないけれど、ヒーローを輝かせる素質はあるんじゃないか。その期待とともに、そういう生き方をしていこうと決めた。

2番手の時代へ

時代は移って21世紀。2020年。日本で2回目のオリンピック・パラリンピックが開催されてフワフワした時代になるなと思いきや、新型コロナによってあっという間に谷底に叩きつけられた空気になった。

2020年、予想していたカタチとは裏返しではあるけれど、新しい時代になる。時代が変わるとはこういうことだ。

時代が変わると、新しい価値観が生まれる。
社会が変わり、生活が変わり、人が変わる。毎日のようにアップデートを感じている。(蛇足だが、生まれて33年間料理しなかった男が毎日料理するようになっているくらい毎日が変わっている)

不謹慎かもしれないがあえて言う。
時代が変わる瞬間に立ち会えていることにチャンスを感じている。
令和の時代、ぼくら”2番手”はどう生きるか。

令和時代の2番手のやるべきことは、新しい価値観を提示することだ。新しい価値観を提示することで、誰かの未来を変えることができる。これから生まれるヒーローに、チャンスを与える仕事をしていきたい。

僕が21世紀版・藤沢武夫になるのだ。

いただいたサポートは、年間でまとめて報告してどう使うか考えて記事にします!(500円までは、自分の甘やかしのためにコーヒー代に消えるかもしれませんがそこは許してください…)