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馴染みの飲み屋の思い出集

以前の職場、ムンバイ支店(仮名)のすぐ近くに、行きつけの飲み屋があった。

4人掛けテーブルが4つに、カウンターが5席ほどのこぢんまりとしたお店、七八ナナハチ(仮名)
還暦を過ぎた女性姉妹が2人で切り盛りしている。

実家のような雰囲気で居心地が良く、わたしたちは月に2、3回ぐらいのペースで訪れていた。

カウンターにはお惣菜がいくつか並んでいる。
お通し代わりに、1杯目のドリンクとセットで好きなお惣菜が選べる。

今日は何〜?とカウンターを覗き込んでお母さんに尋ねる。
「これはがんもと小松菜の炊いたんで、これは手羽と大根の炊いたん。あと、高野さん炊いたん」

炊いたんは美味しい。

1杯目はもちろん生ビール。
どっしりとしたジョッキは嬉しい。

乾杯!
ぐびぐび。

はぁ〜〜、助かった〜〜

危なかった。
今夜も何とか間に合った。



***

わたしは大人になってからというもの、しめ鯖が大好物だ。
良質なタンパク質、程よい塩味と酸味はお酒のアテにピッタリ。

関西の方言なのか分からないが、しめ鯖のことを「きずし」と言う。

七八ナナハチに入った瞬間、お母さんに聞く。

「今日きずしあります?」
「ごめーん、今日無いねん」
この会話を毎回毎回繰り返している。

夏の時期は傷みやすいため、きずしを置かないようにしていると聞いたが、無いと分かっていても聞かずにはいられない。

冬の時期はあるのかと思いきや、9割方無い。

「来るって聞いてたら用意したのに。ごめんねー」
「言うてたらよかったですねぇ」
吉本新喜劇よろしく、毎度同じ台詞だ。

毎回話題に出すものの、結局七八できずしを食べたのは3回ほどだったかもしれない。



***

同じ営業チームで5つ年上のサメガワさん(仮名)は、ムンバイ支店の通勤エリアの中でもクセが強い地域出身だ。

七八で枝豆をつまんでいた時。
食べ終わった枝豆のガラ(皮)を、ガラ入れに入れるのではなく、テーブルに直に置いていくサメガワさん。

一瞬何かの見間違いかと思ったが、喋りながら、ビールを飲みながら、あまりのナチュラルなその所作に、すぐにツッコむのが躊躇われた。

しばらくしてから意を決して聞いてみた。
「あの〜、サメガワさんが育った地域ではそういう慣わしなんですか?」

何のことを言われているのかまるでピンときていない様子のサメガワさん。

おずおずと直置きされた枝豆のガラを指差してみた。

「あ、ゴメンゴメン、間違えた」

慣わしではなく天然なだけだった。

また別のクセが強い地域出身のおにぎりさん(仮名)が、方言で言う。

テーブルに置いても、土還らんでな



***

七八のラインナップは和食がほとんど。
その中で異彩を放つメニューがある。
ローストビーフの耳

パンの耳みたいに、切れ端を安く提供してくれる。
特製わさびソースをつけていただく。

先輩のおにぎりさんは、わさびが苦手だ。
学生時代の野球部の頃から髪型が変わっていないゴリゴリの体育会系の見た目に似合わない。

ローストビーフの耳を食べるたびに、「わさびソース美味しいのに」と周りから弄られるおにぎりさん。

「親からの教えやでな」
「わさびだけは食べたらいけんという先祖代々の言い伝えやでな」
おにぎりさんは毎回適当な言い訳をしている。

幼い頃断乳できずに困ったおにぎりさんのお母さんが、苦肉の策で乳房にわさびを塗りたくったトラウマなだけなのに。

あと、不思議なことに、七八にローストビーフ本体は無く、耳しか見たことがない。



***

これだけ通っていると、ご常連さんとも仲良くなる。

毎日カウンターにいる40代後半ぐらいのお姉さん。
茶髪のロングヘアでヤンキーの香りが漂う。

スマホの動画配信アプリで連続ドラマを見ていたので、隣で一緒に見させてもらった。

お姉さんの名前は知らないが、よく家族のことを話していたりするので、生態はかなり知れてきた。
仕事と家事を終え、息抜きに七八を訪れている。

お姉さんにどこに住んでるのか尋ねると、「ホンマにすぐそこやねん、そこ」と言われる。
徒歩1分以内のようだ。

「ごめーん、ナマ終わってもたー」とお母さんが言う。
わたしたちがバカスカ飲むもんだから、生ビールが切れてしまった。

「アタシ家から缶ビール持ってきたげよか?」と言ってくれる優しいお姉さん。



***

七八の締めは、おむすびが定番だ。
お母さんが握ってくれるおむすびは異様に美味しい。
昆布かシャケかおかか。

冬の時期は、粕汁が最高だ。
メニューに載せているわけではなく、たまに巡り会える七八の粕汁は酒粕が濃い。

これまで散々お酒を飲んできたが、表面張力のようにギリギリ保っていたところにこの粕汁。
最後の最後、これが致命傷となる。
粕汁でベロベロになれるとは本望だ。

すいませーん、粕汁4つくださーい

この注文に例のお姉さんが噴き出した。

「アンタら、次はビールか焼酎か日本酒か、何かと思たら粕汁て。
粕汁4つくださーいて。
アーッ、おっかしいわー。笑ろたわー」

なぜ笑うのかは謎だが、お姉さんはアッハッハーと涙を流してウケている。








以上、七八の思い出集。

オチはないが、粕汁で締めよう。

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さて、次回の #クセスゴエッセイ は

「拝啓ゴキブリ様」

をお届けします

お楽しみに〜
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