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20年越しの歌入れ依頼

依頼のときは敬語

今年はこの状況なので、残念ながら年始年末の札幌への帰省はしないことにした。毎年楽しみにしていたピンポンズのスタジオ遊びができなくなって残念。
というようなメッセージを久保田くんに送ったら、こんな返信が返ってきた。

20年前のリメイクなんだけど、自分の歌声が全然イヤで、本家にお願いしてみようかと思いまして。
Aメロは5拍子につくりなおして変わってるんだけど。

ご検討いただけると嬉しく思います🙇

懐かしい。彼は依頼をくれるときは、メールでも電話ですらも「敬語」なのだ。こういうコンセプトのバンドをやりたいんだけどボーカルをやってみないか、という依頼の電話を20年ほど前かけてきてくれた時も敬語で、つられて敬語で応えている私の傍らで夫が「なんで高校時代からの友達なのに敬語なんだ?」と不思議がっていた 笑 
「相手の顔がみえないやりとりのときは、丁寧に」っていうご両親の躾から来てそうな気もするけど (勝手な想像)。

そのバンドがピンポンズ。

依頼のとき以外はこんな調子。

ピンポンズは15年ほど前の私の北関東へ引っ越しで活動が中断してしまっていたが、数年前、思い立って帰省のとき連絡をとったらみんな二つ返事で集まってくれた。嬉しかった。それから私の冬の帰省のときはスタジオで集まるように。

最近自分で作詞作曲をするようになったのだけど、ピンポンズでの「メンバーがつくってきたトラックに歌メロをのせる」という経験がなかったら、していなかったかもしれない。
ひとりで作るときはビートとコード進行から作り出す。

文学的コメント

「この曲」とメッセージに貼ってあったリンクを辿ると、また懐かしい気持ちに。タイトルとAメロはすっかり変わってるけど確かに彼に初めて唄の依頼を受けた曲だ。ピンポンズを結成する前のこと。

歌入れに久保田くんの実家に出向き、ピンポンしたら予想外にお父様が出てらして怯んだ。お父様に「誰に用?」と尋ねられ。ええっと…あれ久保田くんて下の名前なんだったっけ…と焦って咄嗟に「と...としのぶさん…」と応えてしまう。

くぼたとしのぶ…久保田利伸…

不意のファンキー。

絶対違う。

「としのぶぅ?」とお父様の表情が曇る。ひーっしまったーとなったタイミングで久保田くんがひょっこり現れて、こっちこっちと通されたところに自作のボーカルブースがありへぇええ…となった。といった記憶などが蘇る。

その時曲名は「wound」だった。完成したCDもくれた。今これを書きながらCDラックをごそごそ漁ったら出てきた。

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異なる女性ボーカルが唄う4曲と、インスト曲が1曲。
企画ものだ。アートワークもかなり凝った作り。
当時から彼はこういう案件を複数同時進行している印象だった。そしてとても楽しそうでありとても疲れていた印象 笑
思いついたら形にしないと気がすまない性分なんだなあ、大変ねえ、と思うと同時に、私みたいな音楽好きのものぐさ人間にはとてもありがたい存在だった。人との縁もたくさん貰った。

聴き返してみる。
やさぐれている…私の歌だけがやさぐれている…キーも低く設定してもらってて、ファルセットなんか意地でも使うもんか、自分ロックなもんで!シャウトするのは抑えましたけど!である。そういえば完成したCDを貰ったときも自分の唄に場違いを感じたものだった 笑

更に思い出した。このアルバムに参加した4人のボーカルのうち、3人のボーカルとの打ち上げ的飲み会を久保田くんがセッティングしてくれた時。
自分だけが放つ違和感の話をしたら、「いや、あれはよかったよ。」と言ってくれた久保田くんがそれに続けた一言。飲み会のことは今思い出したが、この言葉は人生において時折思い出してきた。

「声が【猥雑】でいいと思って頼んだんだよねー」

・・・・・・・・

わ・い・ざ・つ?

あの卑猥の猥に雑多の雑と書くあの猥雑?

それは褒めているのか…?
なんだそのいかがわしい表現は…?
国語科卒ならではの文学的表現ともいえるのか…?

気の利いた返しもできない20代の私がぽかーんとなってるうちに話題は移っていった。

細かい

といった懐かしい記憶に浸りつつありがたく依頼をお引き受けすることに。

久保田くんがこちらに記している通り、やりとりのスムーズさよ。リモート時代万歳。
タイトルはダジャレだったんかい…

丁度 DTMソフトの扱いに慣れて来た頃だったので、技術的なリクエストの意味もすぐ理解できた。私個人のタイミングもよかったな、と思う。
ていうか久保田くんのことだ。そこのとこ見極めてリクエストしてきてくれたのかも。

そして、ただただ素材になればいいというのが、新鮮で、楽しかった。委ねて待つわくわく感。最近「何をやるか」から自分で考えて動くことが多かったもので。

肝心の歌そのものについてだが、久保田くんから特にディレクションはなかった。「デモと歌い回しは変えないように」とか「音割れしないように」といった私が昔からやらかしそうなことへの注意喚起以外 笑 
(「君は俺の歌を勝手に変えるなあ!」とレコーディング中ボヤかれたことを思い出しつつ 自分でガイドメロディーのトラックをつくって、確認しながら録音しましたよ。はい。)

そこで、「あの頃の頑なさはもうないのよ、楽曲の世界観に合わせて自分ができる範囲でいかようにも変わりますよ」という自分なりのテーマに基づき歌入れは進めた。
20年前と変わらず、キーの設定はこちらに任せてくれたのだが、その時サビでファルセットと地声がいりまじる高さにしてもらった。
クレジットでは「kusare(くされ)」もあっさりとって貰った 笑

動画はリビングでiPhone8のカメラで撮影。
iPhoneのカメラの解像度は、20年前のいいカメラよりはるかに高い。ここでまた感じる時の流れ。

撮影のとき、リップシンクのため、久保田くんからオケと一緒に受け取った「歌詞カード兼お願い事項」と称したpdf文書をプリントアウトして、譜面台に置いていた。それをしばし眺めていた10歳の息子が一言

「…こ、細かい……!」

笑ってしまった。

そう、細かいんだよ、久保田くんは。
でも、その細かさは作業を進めるときにこちらが迷いそうなところを見越して潰しといてくれる細かさなんだよな。
任せてくれるところは任せてくれるし。

といったことを息子に話した。息子とこんな会話ができるようになったことにも歳月を感じた。

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