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ほんとうは怖~い源氏物語(3)

トップ写真がぼやけているのはわたしの腕とカメラが悪いせい?いえ、狙いがあるのです。源氏物語は霧の向こうにうっすらとぼやけて見える影なのです。ですから、写真もあえてぼやーっと……(写真は、中公新書『源氏供養』橋本治、の表紙を使用)

更衣さんは帝のオンナの中では一番身分が低いのに、帝に格別の寵愛を受けている。周囲が目をそらすほどいちゃついている。周囲の非難は帝にではなく弱い立場の更衣に向かった。更衣はいじめぬかれ、だんだん弱ってゆきました。

更衣が帝の部屋に向かう渡り廊下をこちらと向こうで扉を施錠して閉じ込めた。廊下にウンチをばら撒いて、更衣の衣装の裾がウンチまみれになるようにした。と、まあ、凄まじい!

このリアルさは想像では書けない。紫式部が実際目にしたものでしょう。これをオンナ同士の意地悪さと見てはいけません。

帝はオンナたちを身分に応じて公平に愛さなければいけない。人間らしい恋などしてはいけないのです。それが宮中の秩序を守るすべて。このルールを無視した帝が悪いのです!

女たちの後には実家のオトコたちが付いている。オンナたちには実家一族の浮沈がかかっている。

女たちの「性」を盾にして、オトコたちが命がけで闘っているのです。それが平安時代の政治。武器を手に、ではない。女たちの「性」を道具に闘う。オンナたちは必死にならざるを得ない。後ろにいる父親や兄弟のために。

後宮(こうきゅう・帝のハーレム)の残虐さ悲しさを紫式部はこれでもか、これでもかと書きました。少年帝が「ボク、更衣ちゃんが好きなんだ!理屈じゃない。好きなんだ」と叫び、政務そっちのけで恋に溺れる。こんなに人間的な、欠点だらけの帝の姿を誰が今まで書いたでしょうか。

1000年も前に紫式部は、「一人の男性として性に目覚めた若者」を描いたのです。彼女の脳裏に浮かんでいたのは、一条帝の定子への一途な愛に溺れる姿だったのでしょうか。道長が定子を苛めて結果的に死に追いやった事件でしょうか。

官僚の日記に書き残されている道長の定子苛めをあげます。

1.両親も亡くなり、兄弟は罪人となり、実家は焼失(道長の暗黙の手配で放火されたと当時の人は思っている)孤立無援の定子は出産のために下級官僚の館に移動。仮にも中宮の行啓だ。多くの貴族たちが付従うのが当然だが、道長はまさに定子行啓の朝、突然「宇治で僕と一緒に舟遊びする会」を催した。セレブ貴族たちは「尻に帆かけて」宇治に駆けつける。定子の行啓は惨めなものだった。定子のメンツは粉々に砕かれたのだ。

2.妊娠しているキサキに宮中から腹帯を贈るのが伝統。しかし、道長は腹帯を贈る命令を下さなかった。官僚は道長を忖度し、そのまま知らぬ顏。一条帝は悔し泣き。

3・定子最後のお産の場に安産祈祷の僧侶が一人も来なかった。道長が「行くな」と命令したのではない。僧侶たちが道長を忖度して、行かなかったのだ。定子の弟の僧侶1人が安産祈祷の経をあげ。定子は出産後命果てた。道長の最強の敵定子の死に道長はうれし泣きしたでしょうね。「これで彰子ちゃんの世の中になるぞー」って。ちなみに清少納言は最期まで定子に付従い、定子亡きあとはどこかに引き籠って枕草子を書き続けた……らしい。

4・定子の葬儀があげられなくなった。役人が誰一人動かないのだ。道長が命令したのではない。役人が自主的に道長を忖度して、誰一人動かない。一条天皇自身が泣き泣き動き回ってようやく定子の葬儀の手筈を整えた。質素なものではあったが。

一条帝は「帝のボクでさえつらい目にあったのに、定子は死んでからまで苛められるのか」と泣いた。傍に控えていた官僚も思わず涙した……これは記録に書き残されている。一言一句改ざんされることなく……。

すべてを紫式部は更衣いじめのヒントにしたでしょうね。作家ですから。何でも貪欲に利用する。情け容赦なく定子の悲劇を重ね書きする。

源氏物語「桐壷」を読んだ貴族たちは、敬愛していた定子の悲しい死を思い、涙、涙、悔恨の涙にくれたのではないでしょうか。

紫式部は、宮中で繰り広げられた黒い権力闘争とその犠牲になって命果てたオンナの悲劇を優美なボーっと霞んだような筆致で、情け容赦なくリアルに描いたのです。

それが「桐壷」の巻。

わたしたちはこの時代の人と共通な体験をすることはできません。でも、共感の涙を流すことは出来ます。古典を読むということは共通体験は出来なくても共感する力を育てることなのです(みこちゃんの記事の文、この辺をヒントにさせていただきました)

次回は「桐壷」最大の謎に迫ります。

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