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私が写真を公開したわけ

亡き長兄が父の持ち帰った写真をデータ化して私たち弟妹に送ってくれた。私はそれを開いてみることもしなかった。気が重かったし、どうやってパソコンにアップするのか分からなかったからだ。

そして一年、私は思いがけずnoteに参画した。そして組み写真に興味を持った時、あの写真のことが無意識のうちに頭にあったのではないか。

ただ家族の写真を公開するのではない、という何かの思いが私の背中を押した。もう70年以上の歳月が流れ、写真は歴史的なものになった。公開しても誰も傷つけない、名誉を棄損することもない。まして悪用されることもないだろう。

私たちの乗った船のすぐ後の船は嫌いに触れ船もろとも沈没、乗船していた人は全員死亡。その名前も忍従も、その存在さえ、知られていない。

私の船でも多くの乳幼児と子供が感染症で命を落とした。沈没した船にも多くの子供がいただろう。

その子供たちの代わりに私たちは本土へ帰って来られたのだ。その幼い御霊に捧げるために、私は写真を公開しようと決心した。

また今まで黙していた80歳すぎの戦災孤児たちが、当時のことを書き始めた。今書き残さないとすべてなかったことにされると、孤児として生きた過酷は日々を書き始めた、と新聞の片隅で読んだことも、私を後押しした。

幼き御霊よ

海の底は冷たかろう

鰯の背中に乗って浮かび上がっておいで

海鳥の背中に乗って天まで

昇りたまえ

愛しき父の胸に

愛しき母の胸に抱かれたまえ

幼き御霊よ



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